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つるばらつるばら (白泉社文庫)

価格: ¥680
カテゴリ: 文庫
ブランド: 白泉社
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蛇足ですが ★★★★☆
この時期、創作力が爆発されていますね。
『秋日子かく語りき』では、
「秋日子かく語りき」「ロングロングケーキ」「庭はみどり川はブルー」
「水の中のティッシュペーパー」、
『つるばらつるばら』では、
「夏の夜の獏」「山羊の羊の駱駝の」「つるばら つるばら」
ですか。
同時期に『毎日が夏休み』もありましたね(映画化もされましたか)。

ややオカルトっぽいところも入っていますが、それはSF上の技法と解釈
しておきましょう。とくに「ロングロングケーキ」で、繰り広げられる
奇譚が、登場人物の妄想であるかどうか、決定不能だというオチになって
いるわけですが、その構成は他についてもいえるものとなっています。

「秋日子かく」「庭はみどり」は往生回帰もので、「四月怪談」系の作品ですね。
「山羊の」は、「雛菊物語」系のもので、私はこのアパシー系列の作品が
もっとも大島的だと勝手に思っています。

大島節というのか、それは健在のわけですが、時代のせいか、やや
全体的に「希望のなさ」「薄幸感」がより強くただよっているように
私などは解釈してしまうのですが、錯覚でしょうか。

ところで「山羊の羊の駱駝の」に出てくる、「週刊ピーマン」編集部の
嫌なやつの記者(大人社会にありがちな)の名前は、K正和氏を連想して
しまうのですが、これは私の誤解なのでしょうか?

あと、付け加えたいのは、「つるばらつるばら」の主人公のお父さんが
大島作品では珍しく、父親的であることで(存在感のある父)、これは
どのように解釈するべきなのでしょうか。とくに強調するべきことでも
ありませんか。
表題作以外がすべて傑作 ★★★★★
表題作以外の短編がとても面白い。
しかし、かわいい絵柄とは対照的に登場人物たちの
他者評価はシビアでとてもこわい。
山岸涼子は見るからに「切れる」感じの絵柄だが、
大島弓子は「天然」に見えてな実はシビアな見方をしていて
私は山岸涼子のほうが安心して読める。
大島弓子はこわいのだ。
自分とは何に宿り、他人は何をもって見分けるのか ★★★★★
このころ大島弓子は、たぶん「自分とは何か」について考えていたのだと思う。
もっというと、「自分とは、何に宿るのか」についてである。
この「自分」とは、「自分が自分である、という自己認識」のことである。
「夏の夜の獏」では、子供の体に大人の精神が宿る。
そういうことがあるとしたら、自分とは「脳」なのか?
ところが、「つるばらつるばら」では、「自分とは、脳ですらない」という大島の考えが明かされる。
見ず知らずの、血縁関係すらない「たよ子」だ、と継雄が思い込んでいるなら、それはたよ子の生まれ変わりでしかないのである。ほかに解答はない。
このシチュエーションにおいて、著者は「自分は脳に宿るのではない」と最初に明かしてしまっている。
それでは、自分はどこに宿り、どのようなものなのか?
「脳」すら「たよ子」のものではなくなっている継雄のたよ子が、たよ子の夫に「自分」を認識してもらえたということは、どういうことなのか?
たよ子の夫も脳以外は全身サイボーグ、ということは、「自分」とは、「体」ではない、というダメ押しである。
しかし、「自分」は「脳」でもないことになっている。
私は、大島の思う「自分」とは、「魂」に近いものではないかと思う。
そして、重要なことは、「他人」が「自分」を「何をもって見分けているか」についてである。「たよ子」の肉体も脳も持たない継雄が、夫に「たよ子」だと認識してもらえたのは一体なぜなのか。
それは、「イメージ」だ。「他人」は「自分」をイメージで認識しているということなのだ。
継雄はたよ子のイメージを保っており、夫も往年のイメージを保っていたために相互認識ができた。
ということは、夫婦という近しい他人でも、「イメージ」としてしか自分を認識していない、のである。
「つるばらつるばら」は、時間も空間も超えたラブストーリーの体裁をしていながら、「自分とは何か」「他人は自分を何でもって認識しているのか」を追求した作品なのである。
変な主人公 ★★★★☆
語り手が、ちょっと変わっている。ゲイ(前世は女)、精神年齢20歳の小学3年生(男子)、知能指数が異常に高い小学2年生(精神年齢は普通、女子)、やせる太るを自在に繰り返す女子高生、お父さんの会社で副社長をする女子中学生。もう二十年近く前に描かれた作品なんだけど、新鮮な感じがするのは、こういった視線の斬新さのためか?そう、小道具が古いのに(なんか、ファッションとか言葉遣いとか、随所に80年代を感じる)、何か新しい。『ハッピーマニア』とか『NANA』みたいな、ふつーの生活しててふつーのこと(要はふつーの恋愛)に悩む登場人物っていないんだよね。

斬新さと古臭さと、あともうひとつは、なんというか、タイムリーな要素がここにはたくさん詰まっている。2005年の日本で語られているような現象が、見られる。家庭の空洞化とか、NEET の話とか、Venture起業とか、なんちゅーか、そういう今の流行りっぽいことが詰まっているのね。要は、新旧現が全部一緒に詰まっている感じなんだな。これってちょっと変な感じだ。ペレとマラドーナとベッカムがバレーボールしてる感じ。

もしかするとこういうのには中毒性があるのかもしれない。
早速借りた二冊目にとりかかります。

夏の夜の獏を・・ ★★★★★
 大島さん原作の映画やドラマは何本もあるようですが、私は、この本に収録されている「夏の夜の獏」をぜひ実写化して欲しいと思いました。精神年齢はたち、実は8歳の少年が見た理不尽な大人の(いや、彼には子供に見える)世界。今は達者な子役さんたちも多いことですし、原作に忠実に実写化したら、かなり面白いものになると思います。