小池真理子の解説は秀逸
★★★★☆
この本で一番心に残るのは小池真理子の解説かもしれない。
それほど秀逸である。
解説を最初に読む方は読後もう一度読みたくなるであろう解説である。
さて、作品だが、藤原伊織の作品と思って読むとあまり面白くない。
作者の死や死に対する覚悟と絡ませて、作品を楽しむのもいいかもしれないが、
私はそういう読み方はしたくない。
藤原作品の新作をもう読むことができないのだという事実を
再確認してしまいそうなので。
3篇の作品からなるが、
どれも「静かな」作品である。
長編のエッセンスだけを取り出し、
あえて静謐の中で淡々と流れていくという味付けをしたという感じ。
作者の死と関連させて読みたい人にはおすすめする。
藤原ワールド+透明感のある世界
★★★★★
5月17日が藤原伊織の命日である。2009年5月17日は三回忌になる。
この文庫本「ダナエ」の元になっている単行本は、
亡くなった2007年1月に出版された。中編3つの比較的薄めの小説集である。
中でも「まぼろしの虹」が発表されたのが
2006年の11月。おそらくは死を覚悟し、病が深刻になる直前の
「凪ぎ」のような時期に書かれている。
この中編を読むだけで、この本を買う価値はあると思う。
「中編集」とはいえ、3篇とも、書かれた時期が異なる。
3篇目の「水母」は2002年発表だから、
まだ食道ガンの宣告を受ける前。だからこの「水母」には、
「テロリストのパラソル」に通じるハードボイルドさと、重い暗さがある。
しかし他の2篇は、ガン宣告のあとに書かれている。
とくに「まぼろしの虹」……。
「ダナエ」も、どこか「救い」が用意されている作品で、
深読みすればガン宣告による藤原伊織の「突き抜けた諦念」のようなものさえ感じるが
「まぼろしの虹」には、虚無や暗さはほとんどなく、むしろ透明感が漂う。
巻末の解説を書いているのが、直木賞を同時に受賞した小池真理子。
この解説が秀逸だ。藤原伊織の世界を、こう表現している。
「荒ぶる諦観」……。ただ黙って弱々しく諦めているのではなく、
生きていくためにこそ諦めねばならないことに立ち向かい、泣きながら牙をむく。
そんな種類の諦観が伊織さんの中に根深く潜んでいたのではないだろうか。
藤原作品のロマンティシズムとリリシズムは、好き嫌いも分かれる。
しかし、駆け抜けていったこの作家が、自らの「世界」を
はっきり刻印していったことだけは間違いない。
文庫化にあたって改めて読んでみるとともに、故人の冥福を祈りたい。
赤い水母
★★★★☆
表題作を含め3篇の作品が収められた本
「ダナエ」展示されていた肖像画に、なにものかによって硫酸がかけられ破損してしまった。
一人で犯人を探していた画家がたどりついた意外な犯人と、その動機。
「まぼろしの虹」血のつながらない29歳の姉と23歳の弟が自分達の母親の不倫相手について話し合うのですが。
「水母」10年前の恋人の映像作品「水母」を見ていると、突然画面が乱調になり面食らう主人公。作品の上映が終わったあとに、見知らぬ男性に相談をもちかけられて。
文章がきれいなので、さらさらと読むことが出来る作品ばかりです。
そして、読後感が乾いた感じでやさしい。
作者の書く登場人物が、あまり欲がないため淡々としているせいなんだな、と思い当たりました。
とくにこの本は、人物達の場所の移動が少なく、事件も血なまぐさいものがないため、その感が強かったです。
美術、広告業界を舞台にした短編集
★★★★☆
作者得意の、美術、広告業界を舞台にした短編集である。
それなりに楽しく読むことはできるが、どの作品も終わり方が中途半端な印象を受けた。
内容についての詳細は記載しないが、例えばある問題がある場合、いかにその問題を解決する方法を考えたのかは書かれているのだが、具体的にどう解決されたのかは書かれていない。
意図的にそのような表現方法を選択したのだろうが、読む側からするとすっきりしないものを感じた。
去りゆく星の光芒
★★★★★
収録された三編はどれも、誰もが胸の奥に抱えているだろう痛みをかき立てるような切なさに満ちていた。
特に表題作の「ダナエ」がいい。
脳裏に流れるサマータイムのメロディに耳を傾け、「ただ黙って泣く」主人公の姿に胸を衝かれた。
読み終わった瞬間に読み返したくなる、この作品はそんな力を持っている。
そして「まぼろしの虹」の俊弘……。
彼の背後に広がっているだろう闇の話を、是が非でも読んでみたかった。
そう思うと無念でならない。
今はただ、この掌の上で転がし慈しみたくなるような三編の小説を残してくれた作者に心から感謝し、衷心より哀悼の意を捧げたいと思う。