戦争術の大原則: 皇太子殿下への進講の補足として
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プロイセンの陸軍軍人クラウゼヴィッツが、軍事学を教えていた15歳の皇太子に向けて、戦略・戦術の原則を基礎から解説した一冊。
戦争の一般的な特性の考察から始まり、戦術の基本原則、戦略の基本原則、計画を行動に移す際に生じる「摩擦」の問題、そして指揮官として大事にすべき心構えが説かれる。クラウゼヴィッツが15歳の皇太子に軍事学の教官として伝えたかったことをまとめた一冊。
1810年から2年間にわたり、クラウゼヴィッツは皇太子に軍事学を教えたが、1812年にフランス軍と戦うためにプロイセン軍を離れ、ロシア軍に身を投じることになった。授業の中断を余儀なくされたクラウゼヴィッツが、皇太子のために自分の授業を総括したのが本論文の成り立ちであり、その後の軍事学者の間でも注目を集めた。
内容抜粋
「戦争術の原則そのものは非常に単純であり、健全な常識さえあれば、すっかり理解できます」
「味方の全部隊を一斉に戦闘に投入してはなりません。もし全部隊を戦闘に投入してしまえば、その後で部隊運用を工夫することができなくなってしまうためです」
「我々は防御で戦争を始め、攻撃によって戦争を終わらせなければなりません」
「攻撃戦闘で最も優れた戦法は奇襲です。その攻撃が奇襲としての性格を強めるほど、より大きな戦果が期待されます」
「第一に、陣形は防御のことを考えて組み立てられるべきです。この戦闘陣は軍の戦闘要領に確固とした一貫性を与えるので、有益かつ便利なものになるでしょう」
「したがって、戦略では敵に包囲された側の方が、敵を包囲する側よりも有利になります。此れは特に彼我の戦略が同じ場合、または我が方が劣勢な場合によく当てはまります」
「戦争指導は、巨大な摩擦を生じさせる複雑な機械の動きに似ています。机の上で楽々と計画を立案できても、それを実行するためには、努力を重ねるしかないのです」
著者解説
カール・フォン・クラウゼヴィッツ(1780 - 1831)プロイセン王国の陸軍軍人。元軍人の官吏の家庭に生まれ、少年兵として陸軍に入隊する。フランス革命戦争に従軍した後に士官になり、ベルリンの士官学校において軍事学を学ぶ。ナポレオン戦争ではフランス軍の強さを目の当たりにし、ナポレオンが率いるフランス軍の戦略、戦術を研究した。フランスにプロイセンが敗れてからも、陸軍大学校での教育や皇太子への個人授業を担当し、軍事学を通じて祖国の復興に寄与しようとした。ナポレオンのロシア遠征ではプロイセン軍を離れてロシア軍に身を投じながらフランス軍と戦った。その後、プロイセン軍に復帰し、戦後には陸軍大学校の校長としての仕事の合間を見つけ、『戦争論』の執筆に取り組んだ。この原稿は死後に遺稿集として出版されたが、『戦争術の大原則』もその時に出版されている。