the grief of leaving hometown as if chased by men with stones never goes away
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NHKのテレビ番組のJブンガクを見ています。
2010年の8月に一握の砂を紹介していたので読み直しました。
石をもて追はるるごとく
ふるさとを出でしかなしみ
消えゆる時なし
という詩を
the grief of leaving hometown as if chased by men with stones never goes away
と訳していました。
へー,そう訳すんだと
一握の砂 の中身と英語の勉強になりました。
英語にしてみると一握の砂 の良さと日本語の良さを再認識できることが分かりました
哀しい詩集
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岩手県盛岡市出身の詩人石川啄木の有名な詩集です。生活苦や病気の中で、作られた詩が、哀愁迫るものがあり、心に滲みます。また、北国の作家であり、しんとした荒涼感のようなものが全編ただよう感じで、澄んだ印象を受けます。有名な詩集だけあって、今でも良いものは良いです。
三行書きの特異な表現に生命を与えた啄木の感性を味わうべし
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一握の砂の最後の数首は、生まれてすぐ亡くなった我が子のことを詠んだものである。
いつの世になっても子に対する親の気持ちは変わらない。短歌が苦手な人でもこの数首だけはぜひ一度は読んでおきたい逸品である。
繰り返す日常の歴史。
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昨年の秋、盛岡から安比高原まで乗った銀河鉄道、花輪線で相席になったご老人から石川啄木の故郷が花輪線にあることをうかがった。
啄木の故郷ではかつて住宅の玄関口に啄木の歌が一首ずつ貼ってあったという。おもしろい試みと思って聞いていたが、各家々に貼り付けるほどの歌を詠んだのかと思い、再確認の意味もあって購入した一冊。
これでもか、これでもかと心の奥底をえぐる歌が続く。
啄木が岩手県出身ということもあるが、あの浅田次郎氏の『壬生義士伝』にも啄木の歌が引用されている。吉村貫一郎の末裔が抱く心、そのままが石川啄木の歌に折り重なるようにして出ている。
旧制盛岡中学での啄木の後輩である宮沢賢治も啄木の歌を読んだのだろうか。新渡戸稲造は読んだのか。啄木を文芸の道に引き込んだ及川古四郎海軍大臣は読んだのか、などと思いながら一つ、一つを読み込んでいく。
時代は変われども、石川啄木の生きた時代は現代と変わらない気がしてならない。
人間の抱える悲しみ、苦しみはいつの時代も同じかもしれない。
「昴」の元歌です
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呼吸(イキ)をすれば、/胸の中に鳴る音あり。/凩(コガラシ)よりもさびしきその音!
眼閉づれど、/心にうかぶ何もなし。/さびしくも、また、眼をあけるかな。
「悲しき玩具」の最初の二首です。名曲「昴」がこれをパックンチョしているのは明らかに
見えますが、実はもっと隠されたナゾがあるのです。それは、「昴」という題名です。
石川啄木は本名石川一(はじめ)名義でスバル(文芸雑誌)を創刊しています。
つまり、「昴」は曲自体が、石川啄木へのおま、おま、おま・・・また忘れてしまいました。
ああ、そうです思い出しましたオマージュです。
これは、誰も指摘していない・・・・・あれ、今日「石川啄木 スバル」でググったら
関連記事が出ています。こういうものはもっと早く言っておくべきですね。うう残念。