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金子光晴詩集 (世界の詩 44)

価格: ¥1,470
カテゴリ: 単行本
ブランド: 彌生書房
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美しい詩、美しい心と弱者への共感が込められる反戦詩人の半世紀を越える詩作 ★★★★★
1919年から1975年の長期にわたる詩集から数編づつ抜粋し年代順に集めたもの(詩集‘鮫“のみ全て収録)。読みやすいが、旧字や難解な単語があり、注釈も”鮫”以外には付いていないので、理解に苦労する部分はある。初期の日本の原風景を描いた詩は美しい(“今日、紫の山山はうらうら霞み、銀の雨はあずまやのほとりの、金色の若草に降りそそぐ。ああ、恋の三月”)。いくつかの詩には、詩人の心に流れる高潔な愛情が感じられる(“この心は、損益や、真偽を思量するためではなく、そのまま君に預けるためにあると知った”“(恋愛は)策略を用てはいけない。それは相手を汚すことだ”)。こうした詩人が、戦争を経て、そのスタイルを変えていき、戦争を厳しく批判する(“陰謀と、嘘と、醜さが、こんなにはっきりみえてることはない” ちんぴらで、小心で、好人物な人人は、‘天皇’の名で、目先まっくらになって、腕白のやうに喜び騒いで(戦争に)出ていった“)。詩人の宗教に対する姿勢は今日でも共感を呼ぶものがある(“キリスト教の神は、西洋人に)優越感と勇気を与へ、開明と自由正義の名で、わがまま勝手に世界を荒らしまわるやうになった、非理非道の共犯者”)。詩人は“美しいものは惜しむ暇なく移りゆく”“ 僕の心に永遠に残ろうとして亡びていった美しさ”と謳い人生の無常さを知りながら、過ぎ去っていった人物への愛情を忘れない(“うっかり手を離せば互ひにもう、生死をしる由がない。しってくれ。いまの僕は花も実も昔のことで、生きるのが重荷。心に残るおまへのほとぼりに、さむざむと手をかざしているのが精一杯”)。こうした詩人ですから、人生で弱い立場にあり、苦しむ人たちに共感のメッセージを随所に送っている(“人、ひよわなお前は、時々、べそをかくのもいい。お前は、芽ばえだ。幸運児だ。墓石を枕にして、ぐっすりねてから、立ちあがれ)。
日本に生まれ、日本に生きることに身悶えた日本人 ★★★★★
 金子光晴の代表的な詩を初期から晩年にいたるまで、拾遺詩も併せて収録した文庫。

 近代以降の詩人の系譜の中で、金子光晴は明らかに異彩を放っている。初期の象徴詩人としての詩作こそある種平凡だが、長い旅から生還した後の詩は他の誰とも違うところから書かれたものばかりだ。それは、一言で言えば「共同体の外側に追放された日本人の詩」だ。

 日本語で書かれる限り普通は日本の内側で発想され、言語化され、受容されるのが日本人の書く詩で、書く側も読む側も無意識・無自覚のうちに「日本的」な様々のハビトゥスを前提しているものだが、金子光晴の詩はそんな無自覚な前提を顕にする。読む人によっては不愉快に思うかもしれない詩、「おっとせい」「寂しさの歌」などはその真骨頂で、今読んでも読み手をぐらつかせる威力がある。むしろ、ここかしこに綻びが見えている今こそわかりやすい詩かもしれない。しかし彼は自分を安全圏において高所から見下ろしているわけではなく、自分もそのくびきにあることを忘れず、そのくびきに身悶えている。そんな意識で書かれている詩は、今でもあまり読むことが出来ない。

 考えてみれば西洋発祥の詩形式はそんな構えの元で書き継がれていたもので、「人が聞きたがらない普段の振る舞いの醜さを平然と語る」のは言葉本来の意味の詩人としては当たり前の振る舞いだが、それをやってのけるには莫大なエネルギーと勇気と才能が必要なのは間違いない。

 そんなハードな詩がある一方で、女たちや孫娘への最高に優しく愛にあふれた詩があり、美しい叙情の詩がある。読んでいくと思うのは、中期以降のどの詩も、一篇の詩で世界全体と釣り合っているような詩情の確かさだ。どの詩も詩人から垂直に生まれ出て、読み手に垂直に入ってくる。

 現状に安心・満足して腹いっぱいの顔をしている人たちより、現状に違和感や圧迫感を感じている若い人にぜひ読んでみて欲しい一冊。一生の本になるかも。
世界を旅した日本人な異邦人 ★★★★☆
本は厚いですけど、『金子光晴詩集』と題された通り詩集であり文字がぎちぎちに詰め込まれているわけではありませんので読みやすいです。
代表作『鮫』の全編、『落下傘』『人間の悲劇』などの中から主な作品、散文詩や初期作品など幅広く収録されています。

戦争時代を生きた文学者には大きく二つの道しか選択肢として用意されていないのかもしれません。戦争に迎合するか、批判するか。
著名な人物では北原白秋や宮沢賢治などは前者でした。特に宮沢賢治は自ら積極的に大東亜共栄圏構想に賛同していたようなフシもあります。
金子光晴は『鮫』に代表されるよう、批判する側でした。
だからかどうか、白秋や賢治などよりは泥臭い詩が多いです。知名度がさほどでない理由もその辺にあるのかもしれません。
サイパン玉砕の報を聞いて書いた『血』における蝿の描写など生々しく印象的です。