“漢文”と日本人
★★★★☆
漱石が房総を旅して、“漢文”の紀行を残していたとは知りませんでした。
23歳の頃だそうです。
友人の子規に宛てた戯作のようなものですが、借り物である中国語を用いて思考しようという“離れ業”について、考えることが出来ました。
もともと中国語は“音声言語”であって、その音調を離れては意味を成さないものであるにもかかわらず、字面をもって思考(もどき)を行うのは、かなり怪しい行為と思われます。
恋を囁き、感情を伝えるのは、やはり“声(言葉の響き)”でありましょう。
「異性ひとりを口説けないで、他の人を納得させることはありえない。」というのが持論ですから、言葉の響きを無視した文章には我慢なりません(笑)。
そのような“漢文”による思考を批判するのと同時に、「しかし、まったくむだであったわけではない。自分たちとは無縁の生活に根をもち、自分たちの知らない言語で書かれた書物をよんで理解する、さらにその文章をまねして書くためには、つよい知的腕力を要する。日本人の、こどものころからのその訓練が、日本人の頭脳をきたえた。そうやって代々きたえたあたまで、日本人は幕末維新をのりきり、西洋の文化をうけいれ、あるいはたちむかった。」というくだりもあって、うならされました。
他国の人に“日本の文化”をかたるとき、参考になるのではないでしょうか。