天体異状によって地球最後の日を迎えつつある人類。青年リチャードと仲間たちは「最終日」をセックスとドラッグに溺れながら、絶望に駆られてただひたすらなまでにふしだらに生きようとする。しかし、最後の最後にリチャードが共に時を過ごそうと考えた人物がいた。その人物とは…。
マシスンが描き続けたテーマは、自分は一体誰なのか、そしてその自分という手応えを確かに感じるには一体どうしたらよいのか、ということです。換言するならばマシスンは、「生きてある」と思っていた自分がひどく脆く不確かなものであるということを知った時の言い知れぬほどの不安と恐怖を、執拗に我々に突きつけてきました。
「終わりの日」でも、地球の滅亡によって歩んできた人生が無に帰する事態を目前にして、主人公は自暴自棄へと突き進んでしまいます。しかし、自らの人生を否定するのは地球の滅亡ではなくて、投げやりに生きる主人公の決意そのものであることをマシスンは語りかけているのです。ささやかであっても大切に育んできた自らの人生を自らが否定することの醜悪さこそを私たちは一番に恐れるべきなのです。
この作品には、自分が確かに生きていたという実感を与えてくれる「人物」が登場します。同じような人物が読者の隣にもいるかもしれないということ、そしてそのことのありがたさを知らせてくれる物語でもあります。
主人公に自らの名前を与えたことからも、作者が強い思い入れを持ってこの短編にのぞんだことが読み取れます。
手元にある旧訳に比べて本書収録の新訳はより洗練された日本語になっています。この作品を本書に収録する決断をした編者、そして新訳に取り組んだ訳者に拍手を送りたいと思います。
他の作品も良いです。