理屈というよりは感覚的?
★★★★☆
理屈というよりは感覚的な衝撃を受ける作品集。
しかし、その感覚的な衝撃は、紐解いていけば何がしかの理屈で語ることができるでしょうが、本文中にも本人の解説にも明確な答えはありません。
発表から時間が経った今でも、問題の提示(というほど内容的には明らかな印象ではない)は読者に考えることを要求し、またそうすることのできる力を持った作品集だと思います。
淀んだユーモア
★★★★☆
著者曰く「不具者」の物語集ということである。吃音障害、小児麻痺などがテーマだが、印象深いのは、やはり芥川賞作「アメリカンスクール」である。山田、伊佐、ミチ子などの類型にはまるキャラクターは現在でもあらゆるところに存在するし、多くの日本人は、彼らの屈折した感情をいまだに引きずっている。アメリカに対して複雑な感情を持つ、団塊の世代以上の日本人男性で、妙に英語を馬鹿に見たいに勉強している人が確かに私の周りにもいる。これは、社会学的にも面白いところだ。最初の「小銃」もアレゴリカルな作品で面白いし、「微笑」なども、父親の複雑な心情を軽妙に描いており面白い。私は、これらの作品群から、日本における「父権の喪失」というテーマが一貫して流れているように思えるのだが、どうだろう。
人間の弱さ、矮小さを共感を持ってユーモラスに描く
★★★★☆
この短編集の主人公たちは大部分が、人生うまくいってない人たちだ。影の薄い、声の小さい人々である。日頃は自らの弱さに一所懸命目をそむけて生きているけど、否応無く向き合わされる場が軍隊だったりするのだろう。上司命令による不合理な殺人を犯して気が変になったり、階級にアイデンティティを求めて自分より弱い者を差別したりと“弱さ”が顕在化する。必ずしも被害者、被差別者だけが弱者なのではなく、加害者も差別者も“弱さ”を抱えている。そんな大半の人間に宿る弱さ、矮小さを、著者は断罪するのではなく、共感を持ってユーモラスに描く。その、とぼけたタッチがいい。それでも「小銃」や「星」といった軍隊ものは、かなり想像力を働かせないと今の僕が実感を得るのは難しい。その点、身近に感じられたのは「吃音教室」だ。これ、涙が出るくらい面白い。最高。山口瞳がエッセイで「吃りの人は話しやすいように話を変えるから、不本意なウソが多くなる」って言ってたけど、そういう小狡さも含めて、気持ちを伝えることの難しさ、人とうまくやっていくことのやっかいさが、吃りの人たちを通して描かれている。“吃り”をメタファーなんかじゃなく、そのまんまのものとして読むほうが読書法としてはずっと面白い。
どの作品も今から50年も前のものだけど、どれも現代的で普遍的なテーマ性を持っているよなぁ。
辛辣なユーモア
★★★★☆
「抱擁家族」や「うるわしき日々」というかたちで結実する小島信夫の「絶望の中でのユーモア」から「絶望」を取り除いたのがこれらの作品群と言えるかと思われる。ただし、ただのユーモア小説ではない。いずれも中に辛辣な社会批判を含んでいるのである。そこにこの作家の独特の視点があるといえよう。ただ、後年の両作品のような好き嫌いはこの初期作品ではあまりないのではないか。より万人向きの作品。