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イグアナの娘 (小学館文庫)

価格: ¥540
カテゴリ: 文庫
ブランド: 小学館
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短編「カタルシス」 ★★★★★
短編「カタルシス」

「先日はゆうじがお世話になって」そつなく茶菓子を届けながら,家の中では「あんな水商売の人の家に泊まって!」と平気で他人を見下す母。(水商売といっても普通の喫茶店なのに)。ヒステリックに怒る形相は、マンガなのに自分の母そっくりで...まるで似顔絵のようだと思った。萩尾望都が私の母を見た事があるんじゃないかと思うくらいに。

彼の叫びは、そのまま、自分の叫びでもあった。
「ぼくはあの家ではロボットだ はい母さん はいはいはい」
「いやだって言えない...いっそ本物のロボットになれれば考えなくてすむのに!」
はいの多さ、すごくわかる。もううんざりなんだ。自分もロボットになれたら楽なのにと時々思う。


従姉が間に入って、家族で話し合いを持つことに。
思いを書いた紙を手に、震えるゆうじ。
母は幼い子に対するかのように言う「おまえ なに持ってるの ちょっと見せてごらん」
(子どものことはすべて支配できると思い込んでいる親の、典型的な態度だろう。)
彼は母の言葉を無視する。

「大切に育ててもらって 感謝してるし 期待に応えたいと 思ってきました」
「でも もう 期待どおりできないんです」
「ぼく 自分で 自分の人生のこと 決めたいんです」

そして彼は家を出る。

登場する父親は気が弱く、妻の言うまま何十年と無難に生活してきた人間のようだ。
そんな家庭生活の中で女は、子を支配したいという感情を抑えることができなくなるのか。
母親はその後、カウンセリングに行ったものの、子離れしなさいと言われて激怒し、新興宗教に入った。
子どもの教育を唯一の目的に何十年も生きて来た人間を変えるのは、相当難しいのだ。
悲しいことだが、話し合いで解決できることではないのだろう。
支配されている子どもは、家を出て独立するしか、自分の人生をいきる道はない。
ぼくの心にもイグアナがいる ★★★★★
天才を定義すると、常人には及びもつかないことをできる人だと思っている。
(ただし、常人が憧れる方向に限る)

この萩尾さんが、その天才の1人で。

ぼくはそもそも少女漫画を読まないのだけれど、なんでこのイグアナの娘に肩入れするかというと、
それはテレビ朝日のドラマ「イグアナの娘」に惚れ込んだから。
だから、どうしても原作を確かめてみたく、読んでみたというわけだ。
ドラマは3カ月の連続ドラマだったけど、原作は50ページほどの短編。
その短編に、見事に凝縮された、人の気持ちが激しい勢いでぼくの心をノックするのだ。

いったい、他人の中に自分とそっくりの部分を見つけたら、人はどんな反応をするのか。
なぜ、そっくりの部分に気づいたのか。
そっくりの部分は自分にとってどんな価値があるのか。

自分を見つめ直すには、なまなかにはできないことだ。客観的になるのもやっかいだし、評価もしづらい。
何より、自分と直面することは照れくさい。

この「イグアナの娘」の主人公は、青島リカではない。その母である、青島ゆりこなのだ。
リカの苦しみと努力は、青島ゆりこの投影だ。
そして、それは、読み手である、僕たちへの問いかけでもあるのだ。

さあ、ぼくの心の中にいるイグアナはどんなのだろう。いつか気づくことができるのだろうか?
そんな風なことをいろいろ考えさせられるのだった。
母を愛したくて……でも愛せなくて…… ★★★★★
 イグアナの姿で生まれた女の子を主人公とした表題作のほか、現在の普通の家庭が舞台の短編5編が掲載された本です。
 自分の姿がイグアナに見えている主人公が成長していく表題作は、設定が奇抜なのに淡々と描かれていて、各人の心の動きがよけい切なく伝わってきて、評判どおりの名作でした。 
 同作者の初期の作品「毛糸玉にじゃれないで」に似た雰囲気のお話の短編集でした。
 
乗り越えたから ★★★★★
誰よりも愛している作家さんです。
「小夜のゆかた」からずっとリアルタイムで読んできて、
どの作品も大好きですが、
ある意味、この作品が一番心に残っています。
底に流れる悲しみがどの作品よりも強いような気がして。

ごく最近、
作者御自身が、母娘の葛藤を背負って生きてきているということを知りました。

私もそうです。もうすぐ50歳にもなるのに、まだ心の隅にある思い。
人間ってそういうものだと分かってきましたが。
娘がいますが、同じような思いをさせていないかと心配です。
愛って、言葉で伝えなくては届かないのかな・・・。
娘と2人で読んで、色々話し合いました。

萩尾先生は、乗り越えたからこの作品を描くことができたのかもしれません。
心にきりきりと染み入ります。
母と娘、姉妹の葛藤を鮮やかに描く−心理学童話 ★★★★★
 親子というのは不思議なもので、ものすごく仲の良い姉妹のような母と娘もあれば、血がつながっているのかと思うくらい隔たりのある母と娘もある。姉妹の仲も同様である。もっとも姉妹の場合は、母親がどちらかを偏愛するところから、愛情争いあり地獄に落ち込んでしまう場合が多い。いずれにせよ、より多く愛されたいと願うところから軋轢は生じる。
 母は何故、娘を愛せないのだろうか。良くも悪くも自分に似ているからである。似て欲しいところは似てなくて、似て欲しくないところが似るというのは、往々にしてよくあることだ。何も母親が単に未熟な親というわけではない。その生育暦の中で「やり残された課題」であったり、「隠れた願望」が、特に同性の我が子の上に、無意識のうちに投影されるからである。
 自分がイグアナだと知っているからこそ、その部分は見たくない。イグアナではない場合は、見ずに済むので受け入れられる。そういう心理的な葛藤を、何年も解消できずに年老いていく母親も哀れであれば、母の死により解放され、やっと母親を受け入れることのできる娘の立場も複雑である。何なれば、精神的な痛手から、虐待の歴史が繰り返されるかもしれないのだが、主人公は聡明にも母の苦しみを思いやり、「辛かったでしょ、苦しかったでしょ」と、共感を示す事ができて、母より一回り大きく成長するのである。
 ここで重要な役割を果たす「イグアナ姫」の夢の場面は、童話「人魚姫」にも通じる。その独特の雰囲気を、萩尾望都ならではの画力でさらりと描き、物語からグロテスクさを消し去り、ユーモラスな哀しみといじらしさを添えている。