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或る女 (新潮文庫)

価格: ¥700
カテゴリ: 文庫
ブランド: 新潮社
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「或る”魔性の”女」 ★★★★☆
「え!あの有島先生がこんな小説を!」と言う様な内容です。
主人公は美貌と知性だけではなく経済的にも恵まれて育った女性です。
まさに人生に祝福されて生まれ育った女性が奔放に生きた末に悲しい最期を遂げると言う劇的な変転を描いた小説です。
主人公の心理描写は細密画のように精緻を極め、まさに非凡な作者だけが出来る内容です。
主人公の性格はヒステリー性と言えると思います。後半部から終わりまではヒステリー症状の臨床記録と言っても良いほど精緻な描写です。一方、異性関係においては妖婦、魔性の女と言えるでしょう。(一言で言えば悪女です。)
人間は社会、他人からの力だけではなく自らの欲望によって破滅する儚い(はかない)存在です。また自由であればあるだけ人生の選択肢が増え迷路に迷い込む愚かな存在でもあります。
作者はヒステリー性で針のような性格の主人公を通して人間の頼りない存在基盤を描いていると思いました。(作者の最期を暗示しているようにもとれます。)
この作品は長編です。結果を急ぐことなく主人公の心の変遷過程を鑑賞してください。
今となっては ★★☆☆☆
 日本文学におけるリアリズムの嚆矢と呼ばれています。だが読んであまり楽しくはないです。
 私小説のつまらなさとはまた違います。トルストイの「アンナ・カレーニナ」を下敷きにしたような面白さは一応指摘できるかもしれないけれど、やはり時間の経過による風化がいなめません。
 モデルは国木田独歩の妻の佐々城信子です。
 「葉子は生の喜びの源を、まかり違えば、生そのものを蝕むべき男というものに、求めずにはいられないディレンマに陥ってしまったのだ。」と語られているように、主人公は男たちとの関係で身を滅ぼします。
 どうしてつまらないか。まず暗いことでしょう。性欲が結局死にしか向かっていかないように書かれているのが、世界が暗鬱になる一因です。
 第二に、当時の文学の風潮を代表するがゆえに、今となっては時代に取り残されてしまったこと。
 第三。リアリズムというものが作者にとっての写実でしかないのでは、ということ。もっとも、当時は言文一致すら始まったばかりで、読者サービスなどなかなかできなかったのかもしれませんが。
 終盤にさしかかってくると、主人公がものすごく情緒不安定なために、たいへん暗くなってきます。読むのが苦役です。
 白樺派らしからぬ暗さです。
 それにしても、作者は男なわけです。男から書いた女の内面が、そんなにリアリズムと言えるのかも疑わしいような気がします。
 「生まれ出づる悩み」の方が、まだしも読みやすいです。
内なる世界の恐怖 ★★★★★
自由奔放に生きてきた女が最後に陥る虚無の孤独地獄。
この話のラスト三分の一は全て主人公の葉子の主観から見た人物と世界で描かれていて
おそらく葉子から観た世界と他の登場人物から観た世界は全然別の世界だったことでしょう。
全ての善意が悪意に見えてしまう恐怖。
自分の思い込みの世界に嵌りきり自分の内なる世界に嵌り込んで自滅していく女を
突っ放して描いているのがこの小説の醍醐味です。
新潮版のこの本は注訳がかなり詳しく、登場する人物&建物のモデルがわかります。
20世紀初頭の早すぎた女の悲劇を是非どうぞ。
タクト風?な女 ★★★☆☆
葉子はどんな女だったか?それを一言でいうとタクトのある女。と著者によって本文中に説明されています。女学生の制服をひとつ着るのでも、他の女学生とは一風変わった着こなしをする。男の気を引くような素振り、科を作って見せる。媚を売ると言ってもいいが、そこまで100%自尊心を捨ててもいない。自負があるようで、ないような女。自立しているようでしていない女。男にすがって生きている癖に、自分勝手に生きている。自分に夢中になる男をバカにしてせせら笑っている。結婚してもすぐ飽きて、次の人生にさっさと乗り換える。外国に行ってみたり、戻って来てみたり。

船員の倉地だけが葉子の思うままにならなかった。だからこそ葉子は彼に執着した。自分より強い、自分より自我の強い、そして人格の大きい男を愛する女。縋りつき抱きついても、振り捨てられ、殴られることを好む女。理智より情熱を愛する女。それが「或る女」葉子の真実です。
自由奔放に生きることの切なさ。 ★★★☆☆
主人公、葉子が若さ、美貌、健康を持て余し、ついにその身を持ち崩す様が語られた、長編小説。国木田独歩の恋人をモデルとして発表された当時、話題になった作品である。 今の時代から考えるとそれほど突飛だと思われない主人公葉子の言動、はては生き様であると思う。時代の空気は彼女の物語にハッピーエンドをもたらすことを許さなかったのだろうか。 小説の前半はひたすら葉子の自己中心的でなんの美点もない人物描写にうんざりさせられたが後半からは、そういったことに惑わされず、一人の人間としての或る女の人生模様にたっぷりと魅せられた。長編小説でしか味わえないある種の感情の微妙なひだの奥深くまで葉子の道づれとなった。