霊的見地から見た場合、人は"(精)神"の原石であると言える。原石は研磨されてこそ、その真価を発揮するものであり(それが人の場合は)自らを自らの意思によってその"本性"を磨き出す事が(その置かれた状況に)求められている。それは惰性に惰弱に環境に埋没して流され、ただ死ぬのを待っている事なのではなく裡なる導きを信じ真実(真理)・善(正義)・美(愛)を各自の状況下で力の及ぶ限り発揮するよう努めて生き抜く事を通してのみ成されるものである。
どう生きるかは各自が決めるべきものである。ただ、いずれにせよ所詮は誰もいずれ死ぬ身でもある。最善を尽くしてこそ人生は意味のあるものにできる。本書を手にする(或いは今これを読んでいる)貴方が現実に目を背け愚にもつかない事に与えられた(人生という)機会を浪費しているだけのよくいる"ひきょうと"(つまり秘教徒ならぬ"卑怯"徒(笑))のお仲間入りする事なく人として恥じる事なく生きる助けとしてこれらを活用される事を願いつつ、このレビューの結びとさせていただきたい。
ヒトラーによって、「帰還を準備」されなければならない自称「キリスト」。
それが、クレームの宣伝する「救世主」だそうです。