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王妃の離婚 (集英社文庫)

価格: ¥720
カテゴリ: 文庫
ブランド: 集英社
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まさに権力に対する頭脳戦 ★★★★☆
フランス王妃と、その夫ルイ12世との離婚裁判を舞台にした小説。
しかも原告は夫の方。

この裁判の弁護士がキレモノで、
「インテリは権力に屈してはならない」という信念のもと
まさに知や思考を武器に戦うのが見どころ。


これはまさに裁判を舞台にした小説の定石なのかもしれませんが、
その主張に一番効果的な機を待ったり、
その場にいる人の感情を刺激し意図的に機を作ったり、
世論を味方につけてじわじわと相手を追い詰めてゆきます。

また、

1つの側面から観ると圧倒的不利な事実を、
本質まで掘り下げて整理し、
さらに違う言葉で言い変えることにより
有利な状況に変えてしまう。

そして聴衆を巻き込み動かぬ証拠を残す。

その巧みな技術は
頭と心、どちらも柔軟に使う交渉や説得の勉強にもなります。
良質の法廷サスペンス ★★★★★
 中世フランスという、なかなかなじみにくい時代が舞台ではあるが、前提知識はさほどなくとも読み進められる。必要な背景等も理解できるような物語構成になっている。
 一見権力者に都合のよい、不正義がまかり通っている裁判に、自らも腹の中にすっきりしないものを抱え込んでいる中年弁護士が立ち上がる。彼を動かしたのはインテリとしての矜持か、弁護士としての正義感か、それとも・・・?そしてそれは彼自身にとっても自分の人生を大きく変えようとする戦いに他ならないのだった。
 夢中になってページをくって、読了まで突き進んでいしまう。自分にはどれほど歴史的事実を反映したもかは判断できないが、中世ヨーロッパを舞台にしたエンターテイメント作品ととらえてよいと考える。
闘う知性 ★★★★★
知性はときに暴力的になる。作者佐藤賢一氏はルネサンス期フランス宮廷で実際におこなわれた王家の離婚裁判をとおして、知と情と力をダイナミックに描く。

ルイ12世の王妃ジャンヌは肖像画でみるとお世辞にも美人とはいえない。ルイ12世はその王妃との結婚無効を法王庁に訴え、裁判が行われた。小説の中に描かれる離婚裁判には当時のヨーロッパ列強の様々な思惑が渦巻いている。主人公の田舎弁護士フランソワはこの公開裁判を見学に訪れる。そこで今はソルボンヌの重職を勤める友人に出会う。かつてフランソワは大学きっての秀才で、血気さかんな学僧だった。「インテリは権力に屈してはならない」。フランソワの若き日の理念は数十年たった時点でもかわっていない。その彼がなぜ田舎弁護士をしているのか。単なる見物人だったはずのフランソワはやがて王妃の裁判に、そして王妃自身に深く関わっていく。

ストーリー展開のテンポのよさと意外性、史実を丁寧にとりいれ、かつその史実から飛躍する飛躍の距離のほどのよさ、それらが読者を心地よくひっぱってゆく。しかしこの小説の真髄は別のところにある。正義と権力と個人の幸福の相克がこの小説のテーマだ。作者はそれを描き出すことに成功している。文中にひかれるエロイーズとアベラールのエピソードも使いどころを心得ていて心憎い。あえて難をいえば、作者30代初頭の若書きのためか、文体がややあらっぽい。それも作品の魅力なのかもしれないが、もう少し繊細に情緒の襞のなかに入り込んでくる箇所があれば緩急がついてもっとよかったと思う。
やはり彼の最高傑作! ★★★★★
佐藤賢一をなぜ自分は今まで読まなかったのだろう。確かに自分の好みの作家であろうことは昔から感じていたが、直木賞作家とかは敬遠してしまう癖があるからか。もったいなかった。

 特にこの作品は弁護士を題材にしている。司法試験くずれとしては、読むのがつらいということもあるが、そんな気持ちが薄れたのも月日が経ったせいなのか。

 「インテリは権力に屈してはならない。意味がなくとも常に逆らわなければならない。」

 青臭い言葉だが、いい言葉だ。自分は逆らっているか。

 オクシタニアというカタリ派を描いた小説を読みたい。
女が書けない? 書けてますよ! ★★★★★
 カトリックでは、結婚は男女二人の約束ではなく、神を介した三者契約である。だから離婚はできない。離婚はできないが、事実上、中世ヨーロッパに離婚はいくらでも存在した。「結婚無効」という形で。
 無効となる結婚には二種類ある。
 まず第一は、そもそも結婚することが禁じられている近親婚であったというものだ。従兄妹やハトコでも近親とみなされたらしいから、複雑に婚姻関係を結んでいる王族では、これに当てはめて婚姻を解消することも簡単だった。
 もう一つは、夫婦の間に肉体関係が存在しない場合である。子供に恵まれない時には、実際には関係があっても、しばしばその理由によって離婚が成立した。

 この小説は、後者の理由で妻を離婚しようとした王と、それを拒む王妃の物語を、王妃の側の弁護をする法修道士フランソワの目からえがいた物である。

 現代では、結婚は、極めてプライベートな行為である。しかも当事者は絶対権力者である王なのだ。いくらでも勝手に結婚して、勝手に離婚すればよいようなものである。(実際、英国のヘンリー8世はそうした。)
 しかし、王といえども、法と契約には逆らえないはずと、名もなき修道士と女である王妃の弱者二人組は、最後の最後まで戦うのだ。けっして勝算はないけれど。けっして自信はないけれど。
 格好良くない二人の、格好良くないままに頑張るその意地は、見事としか言えません。

 佐藤賢一は女が描けないとしばしばいわれますが、フランソワが、王妃がけっして引かないその理由に思い当たる部分などには(それが事実かどうかはけっして明かされないが)、誰もが思わずうなずくはずです。
 全く、女とはそういうものですとも! そして確かに口に出さないでしょう、彼女のような女性ならば。
 こんなふうに謎を含んだ存在として、佐藤賢一は常に魅力的に女性を描く作家であるとわたしは思います。