うーん
★☆☆☆☆
下の評者も言っているが、リベラルな多元的価値の共存できる共同体=近代立憲主義
というシステムに、この人の主張は適用不可能なのだ。
特定の復古的価値のみに正当性を主張して、国民各人が各自の価値観により生を営む
ことを許さないその寛容性の欠如には、どうあっても同意できかねる。
このような言論が戦後日本のレジームを叩き壊してしまうという効果も見逃せない。
ヴォルテールによる思想の自由市場論という言葉を著者は知っているのだろうか。
黒い目の外人、櫻井よしこ氏
★★★★☆
櫻井氏の本を読んだことのない人ならば、あのおしとやかな顔で、あのお嬢様言葉で、「マトモな軍備を持て」とか「外国人に参政権など与えるな」とか言われたら、しばし絶句し「…どこか具合でも悪いんですか」とでも返すしかないだろう。
見た目と主義主張にギャップが有りすぎるのだ。
これは、いったいどういうことだろう。
と考えるに、櫻井氏は、帰国子女である。教育もほとんど日本で受けていない。
中身が外人、なのだ。
「日本人」になるには日本人の親から生まれればいいのかといえば、それは違って、日本人の親から生まれて「日本の国土」で育った場合にのみ、「日本人」に成る。この場合の「日本人」とは、島国根性や世間体をはじめとする、日本人のみが持つ属性を備えた人物、という意味である。
宇多田ヒカルや雅子妃が中身が外人になってしまったのは当然で、雅子妃などは「外人」だったからこそ皇室が何をするところかよく知らないから長男の嫁などになってしまったのだ。実情を知っている日本人の女は誰一人「諾」としなかったではないか。
そして櫻井氏もその言動からするに立派な外人、日本人のおしとやかな女性がこういうことを言っていると思うから驚くのであって、これがマーガレット・サッチャーのような金髪碧眼の白人女性が言っている、と思えば、しごく自然なことなのだ。
櫻井氏が主張しているのは要するに「国として屹立せよ」ということで、これは諸外国と比べてみた場合には当然の違和感なのである。外人である櫻井氏が、このような違和感を抱くのは当然であり、必ずしも土井たか子氏のような女性でなくともその言動についてはすこぶるマッチョでもOK、というのは、西洋の文化、なのである。そこに櫻井氏自身は気がついていないようだ。なにしろ外人だからなあ。(着物姿の写真をカバーにしてしまうあたりも、まさに外人感覚である)
それにしても櫻井氏はその見た目で損をしている。
幅広い層の人に読んで欲しい啓蒙の書
★★★★★
著者は現代において信頼に値する発言をする数少ないジャーナリストである。私の見たところ、思想的に偏りがなく、特定の宗教に与することもなく、公正な立場で、綿密な取材と緻密な考察に基づく自らの意見を発信している。これは、当たり前のようでいて、なかなかできないことである。そして、真摯な姿勢で日本(人)を愛している。
本書は、日本を愛する著者が、それ故に日本を蝕む様々な問題について語った書。本書で槍玉に挙げられるのは、官僚(主義)、新聞を中心としたジャーナリズムの偏向と硬直化、脆弱な外交姿勢、少子化を含めた母性(家族)の問題など。我々日本人自身の姿勢についても問われている。
かつての日本は、効率的な官僚主導の政治、報道機関の公正さ、近所付き合いを含めた良好な家族関係等が美徳として考えられていた。それが今や崩壊しつつあり、まさしく日本の危機に直面していると警告されている。私心に捕われず、「日本の危機」を正面から見据えた良書。
良薬口に苦し。読んでください。
★★★★★
国際的な視座を持つジャーナリスト、櫻井よし子さんが、綿密な取材と論理的な思考力と筆力で、日本社会のゆがんだ部分にメスを入れます。私たち日本人が見て見ないふりをしている暗い側面が浮き彫りにされ、政治家や官僚だけでなく、国民の私たちにとっても、読んで痛い本です。しかし、この痛みは、日本をよい国にするために、避けて通れない痛みではないでしょうか。問題を解決するためには、まず問題の存在を知る必要があります。この本を読めば、日本社会のシステムに対する漠然とした不安感、不信感が、怒りと強烈な危機感に変わるでしょう。そして、何がその危機を引き起こしているのか、そして何が変わらなければならないかも、見えてきます。
戦後、日本を救ったものは、政治と教育とマスコミで、今、日本を滅ぼそうとしているものも、政治と教育とマスコミであるといわれています。それを事実としてつきつけられる本です。
まさに日本の危機
★★★★★
税制のゆがみ、教育の荒廃、マスコミのいいかげんさ、援助交際という売買春など日本の危機的状況は、私の思っていた以上でした。
具体的な改善案が提案されていないのは、物足りない部分でもあります。ですが、未だに日本が経済大国であると信じ、アジアにも遅れをとっていることに気が付かない人が多いなか、警告であるとして私は真摯に受け止めたい。