子供は子供で、「自由にのびのびと」といっても、水泳 の基本も教わらないままに水の中に放り込まれたようで、 何をどう書いていいか分からない。[p33]
昭和25年から、30年余にわたって、福岡県立修猷館高校 で教育にたずさわってこられた小柳陽太郎先生の新著「教室か ら消えた『物を見る目』、『歴史を見る目』」の一節である。
修猷館高校は、天明4(1784)年、黒田藩の藩学として創設さ れ、戦後も教育改革の波に洗われることなく、「猷(みち)を 修む」という校名も、校風も維持されてきた学校であった。 その校風を、小柳先生は次のように描写される。
職員室の中にも授業以前に「学問」に対するきびしさと よろこびがあふれていたし、校則はルーズなところもあっ たが、教師と生徒との間の深い信頼関係には、それを補っ てあまりあるものがあった。このような校風、それは戦前 の旧制高校にも通う、学問をよろこびとする教育の、いわ ば原点というべきものであろう。[p229]
「学問に対するきびしさとよろこび」、「教師と生徒の深い 信頼関係」、、、戦後の教育改革の中で、我々がすっかり忘れ 去ってしまった世界がここにはある。教育改革の方法論がさか んに議論されているが、その大前提として我々が忘れ去ってし まった教育の原点を、小柳先生の言葉を通じて再発見したい。