ゲルツェンへの共感
★★★★★
篠田節子の本を初めて読みました。周囲の連中をスノッブとして馬鹿にする主人公自体、エリート意識丸出しで、いざとなったら超へなちょこのスノッブ野郎です。あまりといえばあまりの超スノッブさに何度も読むのを止めようかと思ったほどです。で、個人的には主人公よりもむしろ解放軍の首領ラクパ・ゲルツェンに深く共感しました。ゲルツェンを責め、否定するのは簡単です。みんなで負けたやつを指さして「あいつが全部悪い!」って大合唱すればいいだけです。そしてすべてを昔へ戻して、めでたしめでたしにしてしまいます。富を増し、科学を発達させ、制度を改革することですべてが解決すると思っています。でも何よりも大切なのは、(本書で描かれているように)人間自身について知ることではないでしょうか。なんでも自分に都合良く解釈してしまう、私たち人間自身について知ることなのではないでしょうか。
長くて、重くて、限りなくまじめ
★★★★★
大作です。読み応えは十分堪能できます。
新聞社社員の永岡はヒマラヤの小国パスキムに潜入するが、そこで見たものは、政治という暴力の中に犠牲になる人民、婦人、子供たち。外国からは、宗教や美術から桃源郷のごとく認識されている小国で起こる悲惨な現状を物語る。そこには、血液、内臓、病い、負傷、匂い、叫びがあるが、平和な風景がない。
美術の商業化、政変の舞台への侵入、結婚/性愛、小国のニュース性などどれひとつとっても重くてまじめなテーマに本書はまじめに取り組んでいる。
そのためか読後感はとっても重くて、軽さを希望する人にはしんどいものでしょう。
軽く読み流さずに、どっしり構えてしっかり読みたい
★★★★★
大作。
こんなにいっぺんに、たくさんのことを語りかける作品は他にないんじゃないの、と思うくらい、さまざまなことを問うている。
美とは何か、宗教とは何か、政治とは、国とは、人間とは・・・。
なのに盛り込みすぎの感もなく、内容に破綻がない。
架空の国の物語なのに、絵空事の物語とは全く感じられず、強い吸引力で小説世界に引き込んでゆく。
主人公・永岡とパスキムという国が、どういった運命をたどるのか、追いかけずにはいられない。没頭してしまう。すごい。
美の鑑賞者であり賛美者である永岡。
培われた歴史と文化の中で生み出される奇跡のような美は、何よりも尊く、人の命を代償にしてでも守り抜かなければならない、と考える彼の価値観。
不遜ながらも高邁な彼の精神は、安全で豊かな暮らしを当然のこととして享受しうる基盤があるからこそのものだろう。
洗練された現代人であった永岡が、原始的な生活を強いられたとき、彼の心はどう変わるのか。変わらないのか。そしてもし、それが自分だったら?つきつけられる疑問は、難しく、怖い。
さらりと軽く楽しく読み流せる本ではないが、読み応えは満点。タイトルの堅さとページの厚さで、敬遠しないでほしい。
モデルは文化大革命ですね
★★★★★
これ、主要なモデルは文化大革命ですね。
ある日突然政変が起きて…という部分はポル・ポトでしょうか。
読んでいくうちにあちこちで「ああ、これはアレがモデルかな」ということが思い浮かぶのですが、
それで鼻白むということもなく、ぐいぐいと引き込まれていくのは作者の筆力というしかありません。
現実に行われていることがモデルなんですよ
★★★★☆
読んでいて感じたことはこの作品が、架空のものだと思っている方が大いことです。もちろん、小説ではありますがこれと同じこと、あるいはもっと酷いことをまさにいま中国共産党がチベットで行っていることをほとんどの日本人が知らないことを驚くとともに、大手のマスコミの中共への偏向振り、隠蔽を改めて感じました。
この作品はとてもお勧めですが、同時にチベットの現状なども意識されるともっと深く読めると思います。ポルポトや毛沢東の残虐な行為はいまも共産主義の名の下に引き続き行われていることを改めて思い出す良質の作品です。