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飆風 (文春文庫)

価格: ¥600
カテゴリ: 文庫
ブランド: 文藝春秋
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なぜこんなに私の心に響くのか ★★★★★
車谷の作品はどうしようもなく、私の心に響いてくる。一般常識からいったら全く道理に合わない生き方。まるで本能の赴くまま自由に生きている。思ったとおりに生きている。みんな彼のように生きられない。守るものにがんじがらめになっている。でも小説家の彼はいう。全てうしなってからこそ、本当の生き方が始まる、のだと。ある新聞の人生相談(かなりアナーキー)では前出の考えだからこそ、「9割の人間は本当の人生を生きていない」相談者を「小心者」と言い捨てる。
でもね、小心者の僕たちはあなたのような生き方はどうしたってできないのです。できないからこそ、あなたの作品を読んで心をかき乱されるしかないのです。だからこそあなたの作品から逃れられなくなるのです。
技術うんぬんではなく。 ★★★★★
登場人物がすべて実名で、しかもフルネームで登場してくる。
昔、大江健三郎が、江藤淳に、登場人物に「バード」等の風変わりで匿名性の高い名を好んで使用する理由を問われたときに「創作過程で自分自身の中にどんどん入っていくことができるように」と答えていた。

車谷長吉は逆。自分自身と登場人物を対峙させ、ぶつかっていく勢いで物語を作っている風さえ感じる。これは生き難いだろうなと思ったら、やっぱり精神やられてしまった。
徐々におかしくなる自分の精神を見つめている表題作「飆風」は書き殴った感さえ受けるのに、読むのを止められない。小説としての完成度というカテゴリーを越えて読者をひきつけるそのエネルギーに脱帽。

文学の凄絶 ★★★★★
 今日、ここまで命を削った文学作品があるとは思わなかった。読んで楽しい類のものではない。どちらかというと眉をひそめる内容である。友人とのいさかいを赤裸々に書く。一族の恥部を露骨に文章化する。自らの精神疾患を余すところなく描写する。
 しかし、それは作り物ではないのだから、ただただ圧倒されるしかない。露悪的な作品ではない。車谷の人生そのものが露悪的というか、とりつくろわない人生なのだ。この作品はそれをそのまま提示して見せただけなのだ。
 一ヶ月に一度しか風呂に入らず、すりむけるほど繰り返し手を洗い、人と歩調がそろっただけで冷や汗をかく。社会人として不適格者である。そして著者自身、そのことを作家としてのアイデンティティーと誇っている節もある。いやあ、こんな作家がまだいたのか。ひきつけられるように一気に読んだ。この人はじきに死ぬ。今読んでおかないと後悔する。そんな鬼気を感じさせる作品である。
まさに最後の私小説! ★★★★★
最終章の「私の小説論」の最後にこう書かれています。

  ・・・私は私であることが不快なのです・・・

車谷さんはこの「不快である私」の身を削るように小説を書いていきます。
小説を書いたあとには屍が転々と転がっているのではないかと思えてしまうほど、「私」を痛め、交わりのあった他者(実名)をあばいていきます。

第三者の読み手からみると、俗ぽいのですが、スキャンダラスなものを感じ得ずにはいられません。読み手は、純文学を読んでいるつもりが(確かにこれは分野的には純文学だと思うのですが)いつのまにか‘事の真相’にため息をつきつつページをめくる手が早まっていきます。

もしこれが車谷さんの手ならば、物凄い凄腕作家であるといえるでしょう。
読み手のげすな好奇心をみたしながら「己の精神を追い込み、崩壊していく様を曝した」最後の私小説。
たいしたものだとおもいます。

   ・・・なぜ私が人間としてこの世に生れて来たのかをいくら考えても、分からない・・・この次ぎ生れて来るときは・・・出来れば人間に厭がられる蛇に生れて来たかった。・・・蝮のような毒蛇に・・・

車谷長吉さんは業の深い、福田和也さんが仰るようにスタイリストで上手い作家だといえます。これは作家として最高の資質だと思います。