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我、拗ね者として生涯を閉ず

価格: ¥2,625
カテゴリ: 単行本
ブランド: 講談社
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魂の叫びとも言える迫力 ★★★★☆
 読売新聞社会部記者を経てノンフィクションの草分け的存在の本田靖春しが、
生涯最後に自身を題材とした自伝的作品。肝臓癌におかされ、糖尿病合併による
壊疽から両足を切断されながら、死の目前まで書き続けた自伝には魂の叫びとも
言える迫力を感じます。

 著者は自らを拗ね物と言うだけあって、確かに偏屈なところがあり組織では、
はっきりいって浮いた存在になっていました。そんな著者を見込んだ上司も少なか
らずおり、記者としての実績も積んできたにもかかわらず新聞社を退職したこと
は、私の身近な誰かを思わせます。そう、今ではそう珍しくないフリーエージェン
ト宣言を昭和46年時点でなしえたのは、彼が自立した職業人だったことを物語って
います。もし自分の会社人としてのキャリアチェンジを考えるのであれば、彼くら
いの気概もって退職したいものです。

 全体として彼の幼少の生い立ちから、絶筆までを延々書き綴っており、やや起伏
にかける印象を受けましたが、第八部 渾身の「黄色い血」キャンペーン は一読
に値します。長らく日本を騒がしている血液製剤感染問題で、国と被害者の和解が
成立したことは記憶に新しいところですが、彼の「売(買)血追放・献血百パーセ
ント」活動は、後世の薬害エイズ問題、フィブリノゲンによるC型肝炎問題のルー
ツに切り込み、取材対象をすべて実名で克明に綴っています。一連の血液性製剤に
よる薬害を考察するに当たっては、外せない資料となっています。新聞記者は、
本気になれば社会を変革するパワーを持っていることを見せ付けられました。

 それに比べて最近の新聞のつまらないこと。大新聞を私物化する経営者や
それに媚びへつらうサラリーマン記者の記述も後半出てきますが、このような内部
状況が紙面を詰まらなくして読者の減少に歯止めがかからないのでしょう。
かく言う私も活字が大好きにもかかわらず新聞は何年もとっていません。読者減少
をインターネットのせいにするのは簡単ですが、新聞が衰退していくのはその内部
体質によるところが大きいのではないでしょうか。このままでは本当にメディアと
しての新聞の役割は終わってしまうと思いました。
清貧を地で行く人 ★★★★★
本田靖春さん渾身の作品です。

読売新聞の記者(犯罪には強い!その集大成が「誘拐」という一大秀作)だったこともあって、その頃のことも交えながら書かれています。社会部のスター記者だった過去を引きずりつつ、社会をまっすぐに見て、背筋が伸びるような文が書ける人がいたことを忘れずにいたいです。
ページ数の多い本ですが、読めば読むほど引き込まれます。
本多さんは生涯持ち家を持たない人で、それがまた清々しい感を増してくれます。

ジャーナリストとしての矜持を感じる素敵な一冊です。
メディア論の4大傑作! ★★★★★
「世界一」を誇る読売新聞の内実が克明に暴かれている。同じ「右翼メディア」のフジサンケイグループの暗闘を描いた「メディアの支配者」(中川一徳氏著。講談社)、フジサンケイグループ論説委員だった松沢弘氏(反リストラ産経労委員長)が、フジテレビ暴力総会の実情などを内部告発した「フジサンケイ帝国の内乱」(社会評論社)、大塚将司氏の「日経新聞の黒い霧」(講談社)とあわせて、メディア批判論の4大傑作だ!
我、拗ね者として生涯を閉ず ★★★★☆
先日の毎日新聞の図書紹介欄に、本田靖春氏の本書が掲載されておりました。題名に「拗ね者」とあり、その拗ね者に惹かれて、紹介文を読み自分の人生と重ね合わせ、ちょっと値段が高かったのですが、購入してしまいました。文章は全体として平易でノンフィクション風であるにも拘らず、小説のように読めました。読後感としては、今の読売新聞からは全く想像がつかない、戦後復興期の瑞々しさを感じました。読売新聞にそうした時期があったとは、想像だにしたことはありませんでした。さらに欲を言うならば、西の黒田軍団には、かなり触発されたと思うのですが、一言も触れておられなかったことはちょっと残念に思いました。本書は、こんな歪な国にしてしまった官僚どもに是非読んで頂きたいと思います。(男58歳)
社会部が「善意と無限の可能性を信じる集団」だった頃 ★★★★★
 読売新聞入社早々に社会部のエースとなった著者は、数々の名文を世に放ちました。中でも「黄色い血追放キャンペーン」は社会的影響が大きい記事でした。
 キャンペーン開始の昭和39年当時、日本の輸血用血液は99.5%は買血でした。生活のために血を売る日雇い労働者たちが供給源です。頻繁な採血によって赤みを失い黄色っぽくなった血液は「黄色い血」と呼ばれました。
 この血液を輸血した患者は20%以上の確率で悪質の血清肝炎にかかります。こんな危険な状態を放置しておけない、と若き日の著者が社会正義に燃えて立ち上がりました。何も改革しようとしない厚生官僚やリベート漬けの医療関係者を相手にキャンペーン記事を書き続けます。
 当時の厚生官僚は、「宗教心のない日本人に献血は不可能」と言いました。しかし、キャンペーン開始2年足らずで約50%の血液供給をするまでに達し、とうとう昭和44年に保存血液の売血は完全に消滅しました。

 著者が敢えて自慢話を書いたのは、「善意と無限の可能性を信じる集団」だった「社会部が社会部であった時代」のことを知ってもらいたいからです。
 読売新聞社会部は、その頃から社会部らしくない兆候が現れはじめます。社主の正力松太郎氏が新聞事業に関係ないゴルフ場・読売ランドに力を入れる様子を、何の抵抗もなく社会面に載せていました。
 「社内に言論の自由がなくて、どうして日本の言論の自由を守れるか!」と、熟慮の末、著者は抗議の意を込めて会社を辞めました。せめて会社の風土に一石を投じたはずだったのですが、その後、ナベツネが登場し、もっとひどい状況になったそうです。

 最後まで社会部記者の矜持を保っていた著者。その誇りあるジャーナリストを「拗ね者」と自嘲させてしまうような現代社会の風潮とは何なのか。自分自身が、その浅薄な風潮に流されていないだろうか。

 考えさせられる一書でした。