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野川 (講談社文庫)

価格: ¥771
カテゴリ: 文庫
ブランド: 講談社
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夢か現か…… ★★★★★
 読みながら何度かまどろみ、はっとして先を読んだ……というのが古井作品の場合は褒め言葉だ。なぜなら作品の語り手も、たいていは寝入りばなのまどろみにあるようだから。
 繰り返し語られるのは、友人が大空襲に遇った幼い日、半ば眠りながら母に手を引かれて歩いた時の情景と、別の友人が、青年の頃、下宿の年上の女主人と奇妙な関係を結んだ夜々の情景なのだが、空襲の日に病の父が焼死したのではないか、という語り手の疑問は解かれず、下宿の女主人も、生きているのか死んでいるのか判然としない謎の女だ。そのうちに友人からの聞き語りと語り手自身の回想も入り混じるように思われ、しまいには、この作品と過去に読んだ古井作品も、自分の中で入り混じる。
 そもそも生きるとは夢と現の間を揺れることなのかも知れず、亡くなった友人井斐はまだ生きているように思われ、逆に毎年同じような年賀状のやり取りをしている友人内山はもうこの世にいないように思える。こういう世界観を、言葉の力だけで起ち上げるのが、古井作品の凄さだ。その凄さに、何度も改めて魅了される。
 まどろみつつ時間をかけて読み、最終章「一滴の水」にたどりついてふいにはっきりと目が覚め、食い入るように読んだ。十八歳の頃、語り手と井斐が、土曜の放課後の屋上で遭遇した銀杏の大木の黄葉の禍々しいまでに鮮やかな光景、そして語り手の行き着く境地……あるいは人は死後を生きているのかも知れず、肉体の死は、こんなふうに唐突に訪れるのかも知れない。
文学の臨界点? ★★★★★
読み終えたとき、これはある種の遺書なのではないか、と思った。古井氏の、古井文学の、そして文学それ自体の遺書なのではないか、と。
大袈裟な言い方かもしれない。
しかし、この作品のなかで起こっている事態はただ事ではない。なによりも、言葉の存在論的な無重力化ともいうべき出来事が、従来の古井節を廃棄する形で、ひそかに生起してしまっているということ。この実に特異で奇跡的な〈軽さ〉をおのれの書法において実現してしまった後で、なおも文を書き継ぐことが果たして可能なのか? この作品を「ある種の遺書」と呼んだのは、まさにこの意味においてである。
にもかかわらず、この作品を書き終えた古井氏は、まるでなにごとも起こらなかったかのような涼しい顔で、すぐさま新たな連載(『辻』)に取りかかる。
いやはや、おそるべし、と言うほかない。
古井由吉の最高傑作 ★★★★★
この作品での語り口は、かつての饒舌さが失せ、古井の心の奥底から言葉が、立ち現れるかのような趣がある。その中から、人の優しさがそこはかとなく香り立つ。とにかく美しい作品だ。   
どこへいくのか。古井氏は。 ★★★★★
文藝冬号でモブ・ノリオが本書の書評を書いている。そういえば、モブ氏の『介護入門』の単行本帯には古井氏の寸評が記載されている。薄気味悪い二人三脚だ。古井由吉の著作に書評を書く。なんとも勇猛だ。近日『仮往生伝試文』が新装復刊されるらしい。本書で幻聴をふんだんに浴びてから、読みかかることを勧めたい。この人はどこまで行くのだろう。100年後、200年後、未来の日本古典の教科書には兼好法師ではなく、古井由吉が載るのかもしれない。