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半島を出よ〈下〉 (幻冬舎文庫)

価格: ¥800
カテゴリ: 文庫
ブランド: 幻冬舎
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個人の多様性と、想像力の欠如 ★★★★★
 北朝鮮を怖れる全ての日本国民に読んでほしい。

 国家的な不気味さばかりが強調されるが、国家は当然個人の集まりで成立している。
その個人の思想を統制しようとしている点が、かの国の真に怖れるべきところであるが、
日本に侵入し、自由に考える余裕ができた事で、その統制に乱れが生じる。皮肉だが実に有り得る話だ。
 昔、共産圏から米国への亡命者を、まずディズニーランドに連れて行くという話を読んだ記憶がある。
娯楽に巨万の富を投入する資本主義を見せつける事で亡命者の常識を覆すのが狙いだろうが、これも一種の洗脳ではある。
都市伝説の一種とは思うが、忘れられない。

 作品中で、北朝鮮(反乱)軍に対し、政府や国民は何の対策も講じる事が出来ない。
リアクションを起こしたのは僅かに、26歳の女性アナウンサー、83歳の老医師、10代の反社会的とされる少年グループのみ。
所謂、戦時における「非戦闘員」ばかりだ。そこに政治や経済を担っているはずの壮年男性の姿はない。
武器を持つ相手に「恭順」以外の反応が出来たのは、自ら考え、無謀とも言える行動に出た者だけだ。
その方法はそれぞれ違ったが、日本人の国民性を一括りで想定していた北朝鮮人には衝撃を与える。
そう、個人の思想や行動にズレが生じるのは全くもって当たり前の事なのだ。
そしてそれは、北朝鮮においても、どの国においても、同じである筈だ。

 現代日本の中に燻り続けるアジア蔑視。ネットに溢れる中国・韓国・北朝鮮への誹謗中傷。
私は88年に修学旅行で韓国を、08年に北京五輪観戦で中国を訪れたが、そこで知り合えた人々に不快な思いをさせられた事はなかった。
 韓国の博物館では、子供を引率した老人に「私は日本の植民地時代に日本語を覚えました」と話し掛けられたが、
物腰も言葉もとても穏やかで、「歓迎します。我が国の歴史を学んで下さい」と優しく微笑まれた。
 中国の五輪会場では、日の丸の鉢巻きと扇子、ポンチョを身に付けた私は、中国人を含む多くの外国人から記念撮影を求められた。
日の丸を不快に感じる人がいるかも知れない、という懸念は旅行前からあったが、日本人として日本人を応援する際に、他に適当なものは思いつかなかった。
 中韓どちらも観光客に対するただの拝金主義である、とする日本人はいるだろうが、そんな人にこそ聞いてみたい。
「あなたは現地で個人と接触した事があるのか? メディアで見聞きした情報だけで判断していないか?」と。

 イタリアを訪れた際も、スキンヘッドの若者から、片言の英語で「ここのタクシー待合所の表示は古い」と教わり、正しい場所に案内してもらった。
わずか3国で外国を知ったように語るのは憚られるが、結局どの国にも「絶対の国民性」などないと思う。
日本だって、「安全な国、勤勉な国民性」という評価が既に古いではないか。

 最近起きたハイチ地震に対するリアクションとして、折り鶴を送る運動が日本の一部で広がっているという。
ここに致命的な「想像力の欠如」を感じる。暴動が起きるほど飢えた人々に一般市民ができる範囲の支援なら、募金の方が絶対に有効だ。
「自分がしたいことではなく、相手がしてほしいことをする」という、基本的な事が理解されていない。
村上龍氏が描き出した「考えない日本人」、または「考えているふりをする日本人」
―占領下にある福岡市民の為にと、キャンドルを持って祈るような―に通じるものを感じて、なんとも言えない暗い気持ちになった。
 しかし、2010年の冬季五輪前に韓国で行われたフィギュアスケートの大会のニュースで、少し救われた。
日本人選手の演技への妨害を煽るようなネット上の書き込みに反して、観客からは演技に対する拍手が送られたそうだ。
真のスポーツファンなら当然の事で、両国の対立を深めているのは、結局現場に行かない人々なのではないだろうか。

 一部の国民の卑劣な行為に激昂し、その国をまるごと批判してしまうのは、愚かな事だ。
日本人、日本国も諸外国からそう見られる危険性がある事を、常に認識しておくべきだと思う。

 村上龍氏は北朝鮮と日本ではなく、個人を描いた。小説とはもともと、個人を描くものだ。
左手に残る未読ページが少なくなる事を惜しく思った、素晴らしい作品だった。
ファンとしてやや失望 ★★★☆☆
 上巻のレビューでも書いたとおり、村上龍は私にとって特別の作家である。下巻でこそ往年の村上龍の圧倒的な文章が読めると期待していたのだが、結果としてやや失望してしまった。単なる読み物として本書を読めばかなり楽しいのは間違いないのだが、かつて村上龍の作品の洗礼を受けた人間は、それ以上のものを本書に対して要求するだろう。創造と破壊、システムへの反抗、といった村上龍の往年のテーマが下巻では随所で垣間見られ、中にはかなり気に入ったフレーズもいくつかあった。しかしながら、全編にわたって詰め込まれた無駄に詳しい情報の山がこれら文学的テーマを覆ってしまっている。ストーリーテリング能力の欠如を取材等で得た膨大な情報量でカバーしようとした作家としてはかつて三島由紀夫がいた。晩年の三島の小説には初期のようなキレが失われたとは皆が指摘することだが、作品が情報を詰め込んだ「マッチョ」なものになってしまったのも一因であろう。村上龍の本書は、三島の晩年の小説よりもさらに「マッチョ」であり、かつてのキレは皆無である。結末、特に生き残った北朝鮮兵士の顛末などは完全に通俗小説のレベルに堕してしまっている。往年の名作のような村上龍の新作を読むことはもうできないのだろうか。
リアルさに若干欠けるが盛り上がる活劇もの ★★★☆☆
上巻は全体的に動きが遅いので少しイラつくが、下巻になり展開が早くなり、よりエンタテイメント性が強くなって読みやすい。上巻は多すぎる登場人物達が物語に対し均等にかかわるため、一生懸命登場人物を覚えるはめになり、結局誰にもいれ込めないが、下巻の後半では活躍する人物が絞られてきて感情移入もしやすくなる。但し主役級の人物が場合によっては殺人まで犯している犯罪者とその仲間達で、感情移入するには通常は倫理観が邪魔をする・・。戦闘シーンはスリル満点で圧巻!手に汗握るとはまさにこの事!
ラスト近辺で生き残り組が妙にさわやかな風を吹かしているが、彼らは北朝鮮軍との戦いを喜び、そのために周りで誰が犠牲になって死のうとも全く意に返さない一般的には異常者で、もともとは犯罪者だったはずですけど・・・。北朝鮮軍を撃退した際に多くの日本人も死んでいるが、「死者が少ないと外国が評価している」というくだりは平和ボケ日本への作者からの皮肉だろうか・・・。
いわゆる「文学」ではありません ★★★★★
上下巻を2日で読み切ってしまいました。他のレビューアーも書いているように、字数が圧倒的に多いです。丁寧に読むと、特にカタカナの名前の人物が誰が誰やらわからなくなり、いちいち確認していると、イライラします。でも、そんな必要は全然ない物語です。これを「文学」と思って読んで文句を言っている人は、現実がわかってない人です。北朝鮮の兵士については、知識がないのでわかりませんが、政府内の状況、病院の状況、東京と福岡の市民の感情など、どれもこれもまさに今の日本ではありませんか。この小説の後で本当にドルが暴落し、日本の経済状態が悪化し、オバマ大統領が任命した駐日大使は「ジャパンパッシングの現れか」と新聞にかかれ・・・村上龍が書いたこの小説の書き出しにあまりに似ていませんか? 確かにグロいです。活字が多すぎます。誰に感情移入していいかわかりません。下巻は突然ものすごいスピードで話が進んでしまうし、ラストはちょっときれいすぎ。でも、それがなんだというのでしょうか。これは、文学ではなく、近未来シミュレーション小説というべきでしょう。村上龍は、日本の現状を官僚よりも政治家よりも銀行家よりも企業家よりもまじめに本質を理解して憂えているのでしょう。よくこんな小説を書いたものです。読むこっちもヘトヘトになるのですから、村上さんは、さぞや疲労困憊なさったことでしょう。しかし、これ以上こんな小説を書かれては、ファンは困りますので、当分はのんびり休養にあてて適当なエッセイでも書いていてほしいです。しかし、この小説の中で、一番説得力がある場面は、赤坂のバーでした。これが村上さんの一番親密な世界なんでしょうねえ・・・
傑作。全4巻でもいける。もっと描いてもいい。それほど面白い。 ★★★★★
内容については、他のレヴュアーが書いているので、割愛。

上巻とはかなり趣が異なり、イシハラグループの最終的な破壊工作に至るまでの
各人、各方面が描写されている。

ただし、上巻で描かれた内閣官房や危機管理に関わる政府要人たちの動向は、
パラレルにはほとんど書かれておらず、そこが残念。
同じ九州内の他県の動向や市井の福岡市民を登場させてもよかった。
もっと描けたし、描いて欲しかった。

これだけのスケールの大きな物語なので、
切り口は豊富にあるし、上下2巻は確かに相当なボリュームだが、
その倍あっても濃密な心理・情景描写があれば、退屈しないはず。

それにしても傑作、一気に読めた。