関ヶ原前夜・・・・。
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家康公が信長、秀吉に膝を屈し、忍従の日々を耐えて来たのは
戦国の世を終息させ、泰平招来の深い祈念があったればこそでした。
豊太閤亡き後、前田中納言も鬼籍に入ればもはや公と
比肩しうる器量人はありません。
空白の国政に堂々と臨まんがため、家康公は伏見に入城します。
その間、腹心の島左近、蒲生備中、大谷義継らと共に、石田三成は
‘関ヶ原’への布石を打ってゆきます。北に上杉の蜂起を画策して
秀頼を擁して、西に挙兵すれば家康公を挟撃できるはず・・・でした。
全てわかった上で、会津・上杉征伐のため東下し、
天下のために、家康公は‘関ヶ原’を決断する・・・・くだりです。
泰平招来は深い痛みを伴う事を家康公は覚悟するわけです。
ところで、‘軍荼利明王’とは悪心を飽きることなく懲らしめ、
阿修羅や悪鬼から人間を守護し、障害を取り除く明王です。
この頃の家康公を山岡先生は‘軍荼利明王’に准えて筆を進めます。