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暁の寺―豊饒の海・第三巻 (新潮文庫)

価格: ¥662
カテゴリ: ペーパーバック
ブランド: 新潮社
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男女の仲とは? ★★★★★
仏教の輪廻転生がテーマな本の完結編。
輪廻転生をして魂はどうなったんでしょう?
魂の里に帰っていったんでしょうか?

この「豊饒の海」の最終巻のこの本を読んで
男女は次「対」で生まれるのであると感じました。
「春の雪」の男女。「奔馬」の男女。ぞれぞれの男女の両親の「対」。
そして主人公の友。
最終巻で主人公の友に寄り添う女。
これこそがこの友の「対」であるべき女性かと。
本編の男女の姿が「純愛」と表現するなら友の男女は
男とその男の余白にある濁点のような「女」。
男女は「対」でこの世に生まれてくるのではないかと。
独身が多い世の中で自分の相手がどこかに生息してるのではないかと。
旅情ミステリー ★★★☆☆
何よりもまず、モチーフとして描かれたタイに実在の寺院が、こういってはなんなんだが、四部作の他三作の読み応えが素晴しいだけになおさらなんだろうが、<ちゃち>に思えた。パック旅行のパンフレットやガイドブックに載っているのと同じ位明るく健全でクドく感じられた。

そしてこの作に描かれる人物達には常に既視感がつきまとった。
そもそもこのような期待をするのも、書き手が三島由紀夫だからなんだが、1部や2部、そして最終部に描かれる人物達の、或いは『金閣寺』の主人公でも良いのだが、それらに共通する、読んでいて身震いしてしまうような徹底的な<他者性>がチラッとも感じられず、前作前々作との兼ね合いを考慮して具(主人公以外の登場人物と物語の舞台)を交換しただけ、まるで旅情ミステリーのような、こんな言葉は使いたくないんだが、「通俗性」にあてられてしまって、三作目にして一気に読むテンションが弛んだ。
僕のように斜めに構えた輩には、絶対的に未知な事に対して、空前の博識と絶後の理性でもって、小説や戯曲という挑戦状を叩きつけてこその三島なのだ。
『豊饒の海』を語るに際して欠かせないとされる輪廻転生という主題は、この作中においては単なる飾りにしか感じられなかった。全編通してあれはただの意匠といわれる方もおられるやも知れぬが、だったとしてもやはり抜きん出てわざとらしい。

ただ、『豊饒の海』四部作として見た場合、読んでしまえば、あの事件直前に執筆された遺作という触れ込みを軽々飛び越える、こんな言葉を使うのは気恥ずかしくためらわれるのだが、たいへん「美しい」長編小説だというのは間違いないと思うので、是非この第三部を読了されて最終巻を手に取られることを勧めたい。
求めて手に入れられないものこそが美しく大切なもの、それに触れられないことこそが幸福である ★★★★☆
存在の根本原因であり世界を顕現させているのが新頼耶識(あらやしき)であるという仏教の唯識論をベースに、腐敗・衰退にまみれた世界の中に「刹那の美」を描き出している小説。筋だけを追うと単なる「変な人たちの物語」だが、そのような話が見事に「思念」と「描写」の力によって、美しい小説に造り上げられている。このシリーズを読んで一貫して感じるのは、三島の「読者の常識に対する挑発行為」である。我々の「思考の枠組み」が如何に囚われたものであるか暴き出してくれているるという意味で、ある意味哲学的な啓発小説である。著者の思念の跡を追ってじっくり読むことによって、初めて楽しめる小説。
三島由紀夫をひん剥く一冊 ★★★★★
四部作のなかでも、一番難解とされ、飛ばし読みされることの多い『暁の寺』。
けれど、この豊饒の海シリーズの一貫したテーマを捕らえようとしたら、
一番、核となるだろう部分ではある。
ここを熟読しなければ、最期に三島が投げ打ったものを読者が掴むことはできない。
この大作群は「芸術(的)」で終わるにはあまりにももったいない。

三島が抱いていた思想において、一体「輪廻」するものとは何か。
何が「転生」するのか。そもそも転生とは何か。
このシリーズの根底に流れ続ける命題の根本的な定義が、
この第三部でなされている以上、やはり読者は、難解ではあっても、
この『暁の寺』と四つに組んで格闘すべであろうと思う。

月光姫「自体(或いは漠然とその精神、その魂)」は勲の転生であり
また遡ればその勲「自体(同じく)」は清顕の転生である…、
本当にそう断ずることができるのか。―――断ずるにしても、一体何が生から生へ引継がれたことによって?
まさにその答えが、多く嫌煙される哲学的(唯識論的、仏教思想的)部分に明記されており、
さらに読み進めれば、三島由紀夫という人間の自己規定、死、天皇観、心の深遠にも近づく手立てともなっている。

またいくら難解に思えるとしても、やはりこの第三部とて、
芸術たる気品とひきりまりを充分に有している。
難解どころの騒ぎでないとされる仏典を、いとも過不足なく、
可能な限りのやわらかさをもち(それでも難解なのだけれど)、
それでありながら言葉と言葉を緊密につなぎ合わせ、冗漫さのかけらもないということ。
その為に作品(文章)としのモチベーションが下がっておらず、
難解でありながら、第一部〜第四部への流れを堰止めてはいない。
(私はこの第三部を芸術的にも、「足止め」とは考えられない。
反対に、第一部・第二部を輝かせるもの、
さらには終局(第四部)への促進剤とはなりえても。
或いは仮に足止めであっても、絶対不可欠な足止めだと思う。)
そこに気づかなければ、それこそ誰もが欠伸を禁じえないものになっていたかもしれないが。
豊穣の海のクライマックス ★★★★★
「春の雪」「奔馬」も勿論傑作だが、4部作の頂点を成すのはこの作品。タイ・インドの情景描写の精緻な美しさは、小説と云うジャンルが生み出した至高の芸術であろう。三島の作品に共通している事だが、この作品は時代背景が戦前から戦後にまたがっているため、戦争によって作者が(及び日本が)喪失した物の大きさ、深い傷をいやが上にも痛感させられる。三島はその傷を活力源として創作活動をしてきた作家だが、この作品の後半部分における戦後の世相や人間の描写は、前半部のそれと比べてあまりの退廃ぶりにゾッとさせられる。(その象徴が主人公の本多である事は云うをまたない)作者の全作品の内でも屈指の傑作であると思う。