「<私と太郎は友達>かつ<太郎と正夫は友達>ゆえに<私と正夫は友達>」について命題論理学の推移率が成立していないの指して、「論理学では推移率は恒真式なのに日常的言語では必ずしもそうではない」と表現しているのも、論理学について素人ではないかと思わせる。論理学の無力を示してレトリックの有効性を言いたい気持ちからだろうが、これは価値判断を問題としないのだから、論理学によって上記の主張を「偽!」とする場面であり、むしろレトリックの役割は、この論証を支持して相手を説得してしまうことであろう。
また、「節制は良い。放埓は悪いから。」を「放埓と節制が矛盾対当の関係に置かれている」ことで根拠付けられると言うが、これは、「良い」と「悪い」が矛盾対当であるのは当然の前提としても、まだ「節制も悪い」という可能性を否定できず、根拠たり得ない。この著者が最近「ロジカルシンキング」本を出したと知って、びっくりしている。
なお、「日常的議論」とは、客観的な論理学的議論に対して、人の主観的価値判断に基づく議論のことで、正にレトリックの活躍する領域だとのことで、なるほどと思う。今までは、「根拠とする価値観が違うんだから議論にならない」と整理してきたが。