『内なる辺境』は3本の長編エッセイからなっているが、一番よかったのは3本目の「内なる辺境」。ここではユダヤ的なもの、あるいはカフカ的なものに関して書いている。強調されているのは「ユダヤ的なもの」というのは「都市的なもの」と言い換え可能だということ。ユダヤ人が常に迫害されたのは、彼らが自分の「土地」を持たず「本物の国民」にはなりえないからだ、みたいなことが書かれている。
「その、本物という、わずかな皮膜にへだてられて、ユダヤ人、非ユダヤ人とが、あるとき決定的な対立関係に入るのだ」(p.74)というあたりは国民国家の誕生とか、ユダヤの歴史の本格的な研究からすれば、まあ、単純すぎるきらいはあるけど、さすがに本質はついていると思うし、文章の切れ具合は素晴らしい。