狭すぎ・・・・・
★★★★☆
恋人を愛すること、すなわち狭き門より入り自らの徳を高めること
である。
お互いの意識がこの一点に集中し続けたがゆえの悲劇。
キリスト教徒とはこんなにも恋愛に対してストイックに
なれるものなのかと考えさせられる。
主人公の独白文と手紙、そして恋人の手紙が交互に連続する
構成であり、恋愛小説としての純度は高い。
しかし、時代が違うからか、私がキリスト教徒では無いからか、
どこか現実性に欠け、頭のなかでこしらえたような恋愛物語の
ように感じてしまった。
ただ、恋愛に快楽のみを求めがちな現代だからこそ、読まれる
べき作品なのかもしれない。
彼は私を愛してはいけない
★★★★★
「力を尽くして狭き門より入れ」
新約聖書のマタイ福音書にある言葉である。
これが物語の鍵となる。
アリサとジェロームは互いに愛し合っていた。
ジェロームは結婚したいと思うほどであった。
だが、アリサは違った。結婚したくなかった。それどころか、彼から離れようとした。
なぜか?
それには彼女の大きな葛藤があった。
自分が彼を愛するせいで、彼の徳の邪魔をし、彼が「狭き門」をくぐれなくなるのではないか?
だったら、自らが犠牲になってでも彼の拘束を解きたいと彼女は思った。
そして、胸の張り裂けそうな気持ちで彼から離れる。
だが、本当にそれでよかったのか?
彼はそれを望んでいたのか?
読み終わった後にそんなことを考えさせられた。
アリサは自己犠牲として彼から離れるべきだと信じてそうしたが、それで彼は「狭き門」に至るために力を尽くそうと思うだろうか?
愛について深く考えさせられる作品だった。
「率直ということがなによりさ」・・・プランティエの伯母(P81)
★★★★★
10代の若い頃は、真に相手を愛すること、本当の恋愛は清らかであるべきだ、と考え勝ちでだ。そうした普遍的な心の傾向をよく描写していると思う。
現代人の感覚では分かりづらい作品だけど・・・
★★★★☆
信仰と愛にゆれるアリサの姿は、男から見た女の不可解さをよくあらわしていると思った。
愛しているのに遠ざける。
会うとうまくいかない。
そんな二人の悲しいほど純粋な愛と周りの人々の描写の巧みさは一読の価値あり。
悲劇の肯定性
★★★★★
暇に任せた面白半分で、今までいくつかレヴューを書いてきたが、
本当に好きな作品のレヴューはいくら書きなおしてもしっくりこない。
本書は、ボクにとってその極め付けである。
ボクがアリサを思い浮べるとき、彼女は生真面目そうだが優しい笑みを湛えていて、
しかしいつも、微かに、本当に微かだが確かに、震えている姿で現れる。
それは、ある強い衝動と、その衝動に抗する頑なな決意との、不調和の震えである。
アリサはいつも真剣だ。
真剣であるがゆえに、その不調和は深刻さを増し、なお一層に悲劇的だ。
だがその真剣さ、その悲劇性、その震えに、ボクは深い慈しみの想いを抑えられない。
笑われるかもしれないが、ボクにとって、彼女は愛さずにはいられない存在だ。
彼女のそばで、同じ時間を生きていたならば、自分はジェロームとはまた違ったろうと思う。
だが、作品はすでに完結し、ボクにはただアリサの人生を事後的に読むことしかできない。
ならば、「あの時こうすれば」を考えるより、石に刻まれてしまったその事実を肯定したい。
アリサの人生は無残な失敗であったか? ――否。
浪人時代、気まぐれに作品を手に取り、初めて読んだ盛岡へ向かう新幹線の車内からずっと、
ボクはアリサの人生から肯定性を、誰にも否定できない確固たる意義を見つけ出そうとし続けている。