結末に拘らず先行きの見えない不安感と神秘性を醸成する作品集です。
★★★★☆
幻想的で不条理な世界を描いて現代文学に衝撃を与えた現在のチェコ出身のユダヤ系ドイツ語作家カフカの全中短編を新たに訳し直しテーマ別3冊に編集する企画の第1巻「時空・認知編」です。本書は編訳者の平野嘉彦氏がテーマに沿ってセレクトした34編を収録し、短い物ではわずか一頁の掌編から始まって徐々に頁数が多い物に移行する形の並びなので、読み手にとっては誠に読み易いと思います。本巻に収録された各編を細かく分析すれば、知らず知らずの内に時空が歪んで行くが登場人物たちがそれに対してまるで関心を示さない奇妙さ等の点で興味深いと思われますが、私が最も印象に残ったのは、著者が起承転結の結びの部分に全く拘らない人なのだという点です。この巻には未完の原稿やノートに書き捨てられた物も多く収録されているらしく、それが印象を強めている面もあろうかとは思いますが、それにしてもどの作品を読んでも著者は物語をどう終わらせるかに全然興味がないように感じられます。一方ではオチの持って行き方に腐心し物語の整合性や完成度に気を配る作家がいるのに対して、読者を最後に突然突き放し置いてきぼりにするような創作姿勢には少し苛立ちも感じますが、反面結果を特定させない事で先行きの読めない不安感や神秘性を醸し出す効果は上げていると思います。それでも作品によっては著者独特の理屈や可能性をあらゆる方向に伸ばして徹底的に気が済むまで論じた挙句に、急に興味が失せて投げ出されたのかなと思える物も多くあり、まだ完全には図り難い面を残していると感じられます。最後に数ある作品の中で私が一番心に残った著者の処女作である中編「ある戦いの記」を紹介します。夜道で幸福に酔い痴れ饒舌になった男の話を聞かされ憎しみを覚え殺意を抱いた男の白昼夢と、我に返り己の幸福を恥じて不幸に身を任せる男の躁鬱的な感情の流れを幻想的に描いた秀作だと思います。