ケルアックは俺だ
★★★★★
福田稔訳の「路上」を早稲田の古本屋で5000円で買った。下宿の家賃が7000円だから法外な値段である。1968年早稲田の文学部英文科1年の時。新宿歌舞伎町のジャズ喫茶「デイグ」(植草甚一さんを見た)で読んでたら貸してくれないか?と何度かいわれた。1968年の早稲田の文学のトレンドはアンチ・ロマンでありロブ・グリエ、ナタリー・サロート、フィリップ・ソレルスといったところ。おフランスの時代である。ビートは完全に忘れ去られていた。しかし「デイグ」の店内に沖縄でゲイリー・シュナイダーのコミューンがあるというビラみたいのを見た記憶がある。シュナイダーは京都の禅寺に修行に来ていた。しかし1968年には帰国したはずだが。あまり昔のことで記憶があいまい。シュナイダーはピューリッツア賞詩人でケルアックの「ダルマバム」のジャフィー・ライダーのモデルである。私は学生運動を辞めてからケルアック研究家と称してコロンビア大学図書館でケルアックが寄贈した書簡を見たりサンフランシスコのシティライトブックスを訪ねたりロシアンヒルにあるニール・キャサディの家(そのままある)を訪問してメキシコシティまで行った。ケルアックは私の青春そのものだ。人生は旅である。
古典です
★★★★★
すでに、古典です。
このころのアメリカはワイルドで自由で若々しい。憂鬱はなく、ウラヤマしい。
青春期の熱病
★★★★★
高校時代に「キムタクの愛読書」という本屋のコピーに踊らせて買った禁断の書。免疫力の無い若者は注意が必要。数多の読者を旅だたせたウィルスに私も感染!潜伏期間8年の末、とうとうサンフランシスコに。「Why?」って聞かれても「No reason!」って答えるしかない魔力あり。Go!Go!Go!どこであろうとも「路上」なんだって思うから。
大した小説じゃない
★★☆☆☆
あまり賛成しないだろうが大した小説じゃない。ボウルズは偉大な存在だし、バロウズも鬼才というに足るが、ケルアックはかなり落ちる。この人の人生やこの本で描かれている人生は面白いといえなくもないかもしれないが(似たような友達どうしで自分に似ていない人間を愚痴りながら、アメリカ国内をうろうろしているだけだけど)、小説としてはぐずぐず、だらだらしてて切れ味がない。延々と同じような内容が繰り返し続くだけ。文章もとても詩的とはいえず、どこも異端とも革命的とも言えないし、拍子抜け。
作者の人生や作品で描かれている人生の面白さを、小説の出来と混同するのはやめましょう。
魅力はあるが面白くは無い。
★★★☆☆
結構厚く感じる本なのですが、終始あわただしくいったりきたりしているだけで、その路上でどんなことがあった、つまり路上において「とどまっている人たち」については、驚くほど薄い印象しかない。
観光でも何でも「旅」は「冒険」ですから、たとえ短時間で通り抜けてゆくにしても、いった先の風景や事情、その土地と自分がどう向きあったか等々がとても重要な要素だと思うのです。淡々と心象風景がつづられて、身勝手をやったり身勝手をされたり、移動しました・・・、では私にとってはつまらなかった。紀行文ではないという当たり前なことを自覚せざるを得ないのか。
ロードムービーは好きだけど、この本にはのめりこめなかった。
部屋に飾っておくと「カッコイイ」本ではあるけど。