そして、陽明学。
★★★★★
陽明学は、人を狂人にする。
常に、人を行動へと駆り立てている。
この思想にあっては、常に自分のテーマを燃やし続けていなければならない。
この人間の世で、自分の命をどう使用するか。
その考えに辿り着けば、それを常に燃やし続け、常に行動し、
世の危難をみれば、断固として行動しなければならないという、
激しい電磁性をおびた恐るべき思想であった。
自分以外に、人の世を救えぬという孤独さと悲壮感が、
この陽明主義にとりつかれた者の特徴であった。
自分の命を使える方法と場所を、自分が発見しなければならない。
そのことが、つねに継ノ助をいら立たせている。
自らを狂人に仕立てる以外に、生きる道を探れない。
継ノ助の知りたいことは、ただ一つであった。
原理であった。
歴史や世界はどのような原理で動いている。
自分は、その世界にどう存在すればよいか。
どう生きればよいか。
それを知りたい。
知るには様々の古いこと、新しいこと、新奇なもの、わが好みに逆くもの、
などに身を挺して触れあわねばならぬであろう。
そういうことだ。
だからスイス人の招待を承諾した。
冒険的な、歯の食いしばるような決意がいる招待を受けた。
天地万象も人間の心も二つのものではない。
天地万象も人間の心も同体である。
人によっては、見え方も違うし、見えるものも違う。
その人間の心と天地万象に相通づる感応力があるときに、
その心をうつし出す天地万象に出会えるのだ。
だから、心をつねに曇らさずに保っておくと、物事がよくみえる。
学問とは何か。
心を澄ませ感応力を鋭敏にする道である。
人間には、頭脳の賢愚はない。
賢愚は人の心の気質によるものだ。
気質が正しからざれば、物事にとらわれ、俗欲、物欲に囚われ、
心が曇り、感応力が弱まり、物事がよくみえなくなる。
つまり、愚者の心になる。
学問の道はその気質の陶冶にあり、知識収集にあるのではない。
気質が常に磨かれておれば、
心は常に明鏡の如く曇らず、ものごとがありありとみえる。
つまり、その明鏡の状態が、孟子の言う良知ということだ。
そして、陽明学はそれより一歩進めて、知るだけではとどめず実行を伴わせる。
学問は、その知識や解釈を披露したりするものではなく、行動すべきものである。
その人間の行動をもってその人間の学問を見る以外に、見てもらう方法がない。
やっと完結、読み返してみたくなった。
★★★☆☆
知識を使いこなすのは自分の行動だけでは難しい。理想を追って河井は努力したと思う。しかし結果はついてこなかった。なにが悪かったのだろうと私なりに考えると河井の性格がこういう結果に大きく影響を与えた気がする。西軍へ話し合いに行くにも会津藩への配慮があれば防げたのではないか、だが河井は方谷の門弟時も他のものが畑仕事を手伝っていてもおかまいなしな人物だった。こういったところを読み返していくとなぜ望んでいない戦争になったか納得がいくかもしれない。
政略・戦略の問題
★★★★★
著者が何を思って本書を書いたのかは、知らぬ。
ただ私には、日本の近現代の政戦略に重ね合わせた話に思われる。
以下は半分、妄想である。
長岡藩はもとより戦いを欲したわけではない。
戊辰のタイミングにおいて戦いが必要だったのは、
むしろ薩摩と長州なのだろう。
話はとぶが、第二次世界大戦において戦いを欲したのが
英国と米国であったことは、間違いない。
ある時点までの日本も、長岡藩同様、
アメリカとの戦いを欲していなかったろう。
この点、河井継之助の課題に少し似ている。
ハルノートのむごさは、
薩長の徳川家に対するむごさに、やや似ている。
ハルノート以後の日本が、戦う決意をしたことを
好戦的というべきか、迷う。
仮に薩摩・長州のものわかりがよく、長岡藩の武装中立を認めたとして、
その状態が安定的であったかというと、そうは思われぬ。
武力の強力な「長岡公国」をかかえたまま、
西軍が新政府として、安定した統治を進められたはずはない。
長岡は強力な武力をもつからこそ、いつか滅ぼさねばならぬのである。
この点、ローマにとってのカルタゴにも似ているかもしれない。
河井継之助などという優れた政治家が、狭い藩地を飛び出して
踊りだすことも、新政府にとって断じて許しがたいはずだ。
同様に、日本が一時我慢して、
第二次大戦に加わらず、中立を守ったとしたら、どうなのだろう。
日本の海軍力を、英米は放置できたのだろうか。
長岡藩のガトリング銃のように、戦艦「大和」や高速空母をもつ日本を。
(幸い、昭和の日本に優れた指導者は存在しなかったようだが)
戦後日本のように、米軍の基地を国土に置き、
アメリカに屈服する形をとるほか、
戦いを避ける道はなかったようにも思われる。
河合継ノ助
★★★★★
司馬遼太郎の「峠」を読み終わりました
長岡の家老、河合継ノ助の生涯を描いた物ですが
「竜馬がいく」が完成した半年後に書き始めたられ、
「峠」が完成したと同時に「坂の上の雲」が書かれている。
今まで、坂本竜馬大好きで、明治維新を行い旧封建制を終わらせ日本の近代化を実施したとして時代の体制側である官軍に自然と感情移入していたが、その後燃えよ剣を読み、時代が移っていっても自分の信念に生きた土方歳三などの生き方にも触れ時代の中での人一人の生き方の美しさを考えさせられた。
そして、今回の河合継ノ助。
簡単に紹介すると、河合継ノ助は薩長にも居なかったであろう開明論者だったんだけど、官軍に屈する事無く長岡藩をして官軍と戦った。
当時、最新兵器だったガトリングガンを2機実戦投入し、戊辰戦争最大の激戦を戦った。封建制度が崩れる事、攘夷ではなく開国が必要である事を理解していたのは竜馬なんかと同じなのになぜ矛盾した行動をとったのか?そんな人生の複雑さ、彼個人複雑さを小説では描いてる。
今この大変動期にあたり、人間なる者がことごとく薩長の勝利者におもねり、打算に走り、争って新時代の側に付き、旧恩を忘れ、男子の道を忘れ、言うべき事を言わなかったならば、後世はどうなるであろう、
ーそれが日本男児か。
と、思うに違いない。その程度のものが日本人かと思うであろう。
人間とは何か、ということを、時勢に驕った官軍どもに知らしめてやらねばならない。
権力の側に居るから、体制の側にいるから、時代の変化をつかんでいるから偉いんでも、かっこいいってわけじゃないんだよね
信念に生きる事。行動が美しくある事。
竜馬や、土方や、継ノ助
立場は違えどみんな準じて生きたんだね
スッキリ行かないよ、人間なんだよ
★★★★☆
人生を考えるに十分耐え得る作品でありましょう。
河井の美意識に釈然としない自分に気づきましたが、
そこが己自身をまた知るうえで、
貴重なヒントになりました。
「われわれ―読者やこの稿の筆者―は後世にいる。
後世にいる者の権能はちょうど神に近く、
事態の直面者である継之助の知らぬことまで知っている。」
なるほどそうで、「灰の中に忘れた骨」もありましょう。
家老、執政、総督として身を始末できる。
それほどに、己に忠実に生きる姿に感銘します。