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プレイヤー・ピアノ (ハヤカワ文庫SF)

価格: ¥987
カテゴリ: 文庫
ブランド: 早川書房
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陽気で楽観的な反ユートピア ★★★★★
 本書の発表当時書評家に、オーウェルの「1984年」、ハックスリーの「すばらしき新世界」の亜流と評価されたとあとがきにあるが、とてもとんちんかんだったと言わざるを得ない。
 もちろん「1984年」には抑圧された支配構造が生み出す非人間性という普遍性を感じるが、本書が決定的に異なっているのは陽気なまでの楽観主義である。どれほどシニカルな立場におかれても、登場人物一人一人が決して絶望的でないし、未来が約束されていなくとも生きる希望に満ちている。
 これだけコンピュータを含む機械文明の発達した現在という時代に立ってみると、それが当たり前になって機械が人の仕事を奪い、支配の道具になっていると考えることはほとんどない。しかし、国際的にも国内でも、経済徴兵や少数者の支配力の増大等、富の格差の問題がこれだけ顕著になってくると、本書が予見した時代が今まさに起きようとしている感じもする。
 それでも絶望せずにいるのは、やはりヴォネガットがつくった主人公たちのような人々が、実際にもいると信じられる何かが私たちにあるからだろう。その意味でも読者の気分をとらえた説得力ある作品だと思う。
長すぎるという理由で読まずにいるのはもったいない。 ★★★★☆
「新装版へのあとかぎ」も含めると603頁。確かに長い。しかし、活字が1頁にぎっしりつまっているという訳ではないので、思うほど読み通すのに時間を費やすわけではない。

1952年の作品で、徹底して機械化が進んだ社会を想定し、勝ち組の「管理者と技術者たち」と、機械によってそれまでの仕事を奪われた人たちである、負け組の「道路住宅補修点検部隊」に大別された社会で、勝ち組にいることに疑問を感じた優秀な技術者が主人公の話。人間にとって一番大切なものである、「自分が必要とされている、役に立っているという気持ち」を勝ち組は負け組みから奪っていいのか、がテーマであり、技術を金に置き換えると、「ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを」に通じる。ほとんどの仕事が自動化された社会への警鐘というよりも、今日の社会で考えると、勝ち組と負け組みの格差問題を予言した書のように私は感じた。

主人公が周囲の人々の影響を受けて考え方を変えるに至る様がじっくり描かれているが、もう少し凝縮できたのではないかと思う。また、後の「猫のゆりかご」のポコノンに発展するようなキャラクターである「ブラトプールの国王」のアメリカ視察珍道中は、主人公とは別の角度からこの勝ち組と負け組に大別された社会の矛盾を素朴に指摘するが、この国王と主人公のからみをもっと膨らませられなかったのかとも思う。

しかし、真空管とパンチカードで動くコンピュータ、家電製品の急激な普及等50年代初期のアメリカ社会・技術を背景に、ヴォネガットがこの長編第1作から、偉大な「坑内カナリヤ」ぶりを発揮したことはよくわかるだろう。
この本はキャリア・クライシスの本なのだ・・・ ★★★★★
実は、この本を購入したのは20代の頃。本の厚さと、最初の20ページぐらいまでの重い雰囲気に威圧されて、唯一ヴォネガット作品の中で読まずにいました。

しかしキャリア・クライシスの年頃=44才になった今読んでみると。圧倒的なメッセージ性で自分に迫ってきます。SFとか、愛とか 優しさとか、階級闘争とか、そういうメッセージ性でなく、「今のクソ組織に帰属して、クソ仕事を続けているサラリーマンとしての自分のキャリアが本当に正しいのか!」という「剣」をつきつけられたようなメッセージです。

若い読者でなく、ぜひ40代で会社人生に疲れてきた同志に読んで欲しい作品です。それと昔読んだことのある方も再度読み直してみると、全く違った発見があると思います。
ヴォネガットはヴォネガット ★★★★☆
この作品はヴォネガットが巨匠となる前の習作などではない.
おそらく多くの人がヴォネガットに期待するヒューマニズム,
それも直接的なプロパガンダの形ではなく,
一見冷たく突き放したような視点ととぼけた筆致にくるんだ,
だからこそじわじわと読み手の心に沁みて不完全な人間に対する
無条件の優しさを誰の心にも溢れさせるヒューマニズムは
既にこの作品にも十分詰まっている.

この作品に書かれているいわゆる SF 的世界が
書かれた時代を反映して古さを感じさせることが「仮に」あったとしても,
それがこのヴォネガット作品を読む障害になるとは考えられない.

もし何かの理由でこの作品を買うのに躊躇しているヴォネガットファンがいるなら,
きっと期待を裏切ることはないから安心して買えばいいということを是非伝えたい.
最も21世紀的なテーマ。 ★★★★☆
カート・ヴォネガットが死んだ。
2007年4月11日。享年84。
此処に謹んで哀悼の意を表す。

本書はヴォネガットの長編第一作目。
オーウェルの『1984年』や
ハクスレィの『素晴らしき新世界』よりも
現実の21世紀は「人間が、どんどん、要らなく為っている
時代」と言う意味で、本書に描かれた世界に
酷似して来ていると思われる。

当時、GEのサラリーマンだった
ヴォネガットが「大企業家族主義」の
カリカチュアや、或いは、登場人物達の
子弟が18歳くらいで受験する
国家学力試験で、その後の人生が
決定される等、「日本的経営」や
「共通一次・センター試験」等、
1980年代的な「日本型システム」を
「予言」したかのような内容である。

そして。90年代に入り、「日本型システム」が
崩壊を開始して、「管理社会」もついでに
半分くらいは、崩壊してくれたのは、
良かったのか、悪かったのか、或いはその中間かは
兎も角として、ヴォネガットが、その後
描き続けた「親切」、正確には
「愛なんかよりも、親切を」と言うテーマは
90年代のアメリカITバブルと、
日本の平成大不況の中で、消し飛んでしまって、
21世紀現在に至る感が有る。

20世紀的な戦争の世紀を生きた作家、
ヴォネガットは、新たな戦争の世紀、
21世紀を見て、いや、「確認して」、
この世を去る事になった。
この「大いなる皮肉」。
本当に「泣くか、笑うかしかない。」
しかし、「少なくとも、笑えば、笑った様な
気分に為る。」

21世紀的な戦争の問題はさて置き、
人間が「本当に」要らなくなったのか。
私は、今、ダニエル・バレンボイムの
バッハの平均律クラヴィイアを
聞きながら、此れを書いているが、
プレイヤー・ピアノにバレンボイムの
代わりの演奏が出来たとしても、結局、
其れ以前に、「オリジナル」である
人間のピアノ・プレイヤーが必要なのだ。

そして、此れは、トレーディングの
状況でも、全く、同じなのである。