「鬼畜」は読んでいて、どうしようもなく暗い思いにとらわれました。血のつながっていない三人の子供を目の前から消し去ろうとする夫婦の話、それが「鬼畜」です。黒い汚点のように心にしみついて離れない、そんなやりきれない話ですが、これが読後、じわじわと効いてくるんですよ。ぞおっとします。
それから、関係がないと思われるところを結びつけて、そこに旨味を出す面白さが清張作品にはあるように思います。“一緒に見なされないものを一緒に結びつけて考える”ということ。これはミステリの面白味のひとつですが、この妙味を出す手際の巧さが清張作品にはありますね。「地方紙を買う女」では、主人公の作家が読者からの葉書を読んで、それをあることと結びつけて考える件りがあります。一見なんのつながりもなさそうに見えたところに、ある関連性が浮かび上がってくる。離れた点と点を結んで、ひとつの絵に仕立ててしまう面白さがある。そこに、著者ならではの芸の旨味があると思うのです。
とりわけ印象に残ったのは、「鬼畜」と「投影」の二作品。陰と陽とでもいった味わいが好対照なんですが、作品の根っこの部分で通じているところがあるかなあと、そんな気がします。「鬼畜」に出てくる三人の子供の長男と、「投影」に出てくる主人公の男。虐げられた者が鬱々として、「今に見てろよ」と怨念を抱くところ、そこに“復讐する者”が持つ共通した匂いを感じました。といっても、両者ともはっきりと形を取って復讐する訳ではありません。しかし、彼らが心に抱えた暗い気持ち、恨む気持ちに通じるものを感じたのです。「鬼畜」はもう、どうしようもなく暗い思いにとらわれました。血のつながっていない三人の子供を目の前から消し去ろうとする夫婦の話、それが「鬼畜」です。黒い汚点のように心にしみついて離れない、そんなやりきれない話ですが、これが読後、じわじわと効いてくるんですよ。ぞおっとします。
さらに、“一緒に見なされないものを一緒に結びつけて考える”というところにミステリのひとつの面白味があるのですが、この妙味を出す手際の巧さ、それが清張作品にはあるのですね。「地方紙を買う女」では、主人公の作家が読者からの葉書を読んで、それをあることと結びつけて考える件りがあります。一見なんのつながりもなさそうに見えたところに、ある関連性が浮かび上がってくるんですね。離れた点と点を結んで、ひとつの絵に仕立ててしまう面白さ。そこに清張の芸の旨味を思うのです。