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ソ連軍の「作戦術」とウラン作戦 (山崎雅弘 戦史ノート)

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カテゴリ: Kindle版
ブランド: 六角堂出版
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1942年11月19日から20日にかけて、ヴォルガ川沿岸の工業都市スターリングラードの西と南の2か所で、ソ連赤軍の大規模な反攻作戦が開始された。軍事術の教科書通りとも言える両翼からの二重包囲作戦で、後に「第二次世界大戦の転換点(ターニング・ポイント)」と評されることになる大反攻「ウラン作戦」である。

ドイツと行動を共にする枢軸同盟国のルーマニア軍が守る、薄く伸びきった戦線を難なく突破したソ連赤軍は、白銀の戦場を鮮やかに進撃してドイツ第6軍の背後を襲い、司令官フリードリヒ・パウルス上級大将(ソ連軍に降伏する前日に元帥へ昇進)以下、20万人を超えるドイツ軍およびルーマニア軍を包囲環に閉じ込めることに成功した。

この反攻で中核を担った部隊の一つは、プロコフィー・ロマネンコ中将のソ連第5戦車軍だったが、同軍はこの作戦の開始からわずか4か月前の7月には、ヴォロネジ付近でドイツ軍と激しい戦車戦を展開し、拙劣な戦いぶりで壊滅的打撃を被ったばかりだった。また、ウラン作戦から半年前の5月に実施された第二次ハリコフ戦でも、ソ連赤軍はハリコフの両翼包囲を目指して攻勢作戦を仕掛けたものの、数日のうちに頓挫した上、ドイツ軍の逆襲で貴重な予備の戦車部隊を喪失する憂き目を見ていた。

それでは、1941年6月の独ソ開戦以降、場当たり的あるいは散発的な反撃しか行えなかったソ連赤軍は、なぜこの時期に、敵であるドイツ軍にも遜色ないような鮮やかな形で、戦車および自動車化部隊を活用した大包囲作戦を成功させることができたのか。

その背景には、ソ連赤軍内部で静かに進行しつつあった、老化した細胞の新陳代謝にも似た幹部人事の刷新と、それによって長い「封印の期間」から解き放たれた、戦前のソ連赤軍において盛んに研究が重ねられた「作戦術」および「縦深作戦」という先駆的な軍事理論が存在していた。

本書は、ソ連赤軍の第二次大戦における最も鮮やかな作戦的勝利であった「ウラン作戦」を題材に、それを成功に導いた「作戦術」のエッセンスをコンパクトにまとめた記事です。2012年1月、学研パブリッシングの雑誌『歴史群像』第111号(2012年2月号)の大特集記事として、B5判11ページで発表されました。軍事専門家の間で最近改めて注目される「作戦術」の要旨を、わかりやすく解説しています。