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クリプキ―ことばは意味をもてるか (シリーズ・哲学のエッセンス)

価格: ¥1,050
カテゴリ: 単行本
ブランド: 日本放送出版協会
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簡略版『ウィトゲンシュタインのパラドックス』 ★★★★☆
クリプキの本というより、『ウィトゲンシュタインのパラドックス』を簡単に噛み砕いた本です。(ですので、『名指しと必然性』については、本書を読んでもほとんど何も情報が得られません)
クワス算から懐疑的解決まで、そしてウィトゲンシュタイン解釈の問題、が非常にわかりやすく書かれています。
読んでいた感じとしては、クワス算のところで、いささか似たような主張と再反論と、がくりかえされていて、単調な気がしたぐらいです。

ただ一つ、重要な点が気にかかりました。
本書では、グッドマンのグルーのパラドックスと、クリプキの提起したウィトゲンシュタインのパラドックスとが、基本的に同じ問題として扱われています。
しかし、三浦俊彦が『論理パラドクス』で指摘しているように、両者は見た目は非常に似ていますが、本質は異なります。
簡単に言ってしまえば、グルーのパラドックスは意味に関する問題であるのに対し、ウィトゲンシュタインのパラドックスは規則に関する問題です。

そういう点から星一つ減点しましたが、全体としてはわかりやすく、良書です。
「あとがき」から読もう。 ★★★★★
クリプキの「ヴィトゲンシュタインのパラドックス」についての解説書。他のレビュアーも指摘するとおり、クリプキの他の業績(可能世界論や「名指しと必然性」での議論など)については何も書かれていない。だから、クリプキの業績全般についての概説書を期待して購入する人はガッカリするだろう。でも、クリプキは自分の体系を着々と構築するタイプではなく、その時々に関心を持った課題を議論するタイプの哲学者だから、別にこれで構わないのだ、というのが「あとがき」での著者の説明で、多分それはそうなのだと思う。記述は大学新入生向けの講義を基にしているだけあって実に分かりやすく、クワス算のくだりは適度にふざけていて面白い。タイトルは若干ミスリーディングだが、本書の趣旨さえ誤解しなければ、とても良い本である。
言葉をまなぶ・・・ということ(;'Д`)ハァハァ ★★★☆☆
(;'Д`)ハァハァ ヴィトゲンシュタインの著作と格闘するうえで・・・問題となってくるのは言語法則の問題である・・・。
論理をつむいでいく 言葉の問題をしっかりと捉えなければ
ヴィトゲンシュタインを理解することは不可能である・・・?!

ホッカルさんは言葉というものを非常なまでに大切にしている・・・?!

言葉は力である・・・っ!!だから言葉に力を込め・・・
最高級の影響と破壊力を持たせたいからだっ?!

そういう意味で・・・おいらは言葉への探究に余念はない・・・?!

どうすれば・・・人が惹きついてくるのか・・・
それを知るには この本を読めば十分である?!

要は解説書です。 ★★★★☆
あっさりと言い切ってしまえば、この著作は、ソール・クリプキの「ウィトゲンシュタインのパラドックス」の解説本だと割り切って読んだ方がいいと思います。当然ながらクリプキやそのほか論理哲学は必ず一定のコンテキストのなかで論調が張られますので、コンテキストがわからないとなんやらさっぱりわからん、ということになりかねません。本書は、そのようなコンテキストとその中でのクリプキの著作の位置づけを明確しています。ところどころお得意の飯田節も炸裂しており、楽しめるのではないかと思います。まぁ肩肘張らずに読む本ではないかと。
哲学に何を求めるか ★★★☆☆
本書は英米系の分析哲学に属する著作で、この方面に関心を持つ人や自然言語理解と取り組むコンピュータサイエンティストには興味を惹くだろう。特にクリプキの「ウィトゲンシュタインのパラドックス」を読破した人なら簡単に読み終えることができる。しかも、議論は平易で明快だ。読者は、自分ならこう考える、私のクリプキ理解はこうだ、などと色々と考え楽しむことができる。しかし、哲学に人生や倫理、社会のあるべき姿などの手掛かりを求める人には失望感しか与えないだろう。「現代の哲学って、こんな詰まらないことを論じるのか」という偏見を与えてしまう気がする。
分析哲学は、情緒的・イデオロギー的で深遠な大問題を扱うが論理の杜撰さの目立つことが多いフランス・ドイツ系の哲学と好対照をなすが、本書は、分析哲学の緻密な議論をするというよい面と瑣末な議論に終始するという悪い面(詰まらないというべきか?)をともに示す。
しかし、分析哲学系の大スター、ウィトゲンシュタインが、その哲学的考察で求め続けたことは、「哲学を捨て、真に生きることができる道」を見つけることだった。ウィトゲンシュタインが表面的にはテクニカルで瑣末な議論に終始しているように見えながら、多くの読者を魅了してきたのは、その背後に生との格闘があったからだ。しかし、本書からはそのようなものを読み取ることはできない。
哲学に生の問題を求める読者は、ウィトゲンシュタインの伝記や、デレク・ジャーマンのドラマ「ウィトゲンシュタイン」(DVD)をお勧めしたい。それから気が向いたら、クリプキの著作を、そしてその次に本書を読めばよいだろう。