感覚について: ヴィパッサナー実践の道しるべ (初期仏教の本)
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「感覚の観察」を通して、無常・苦・無我の真理を知り、一切の執着から解き放たれるための道程を記したガイドブック。
”「感覚は苦そのものである」―――ヴィパッサナー冥想指導のときに、私がしばしば強調している言葉です。このフレーズはパーリ経典の言葉を現代的な日本語に置き換えたものです。しかし、これだけを切り取って受け取ると、ちょっと極端な「悲観主義、厭世主義(ペシミズム)」のように聞こえてしまう可能性があります。
また、一般的に初期仏教では、感覚(受 vedanā)は苦・楽・不苦不楽の三種類である、としています。お釈迦さまが説かれた「苦・楽・不苦不楽の三種類の感覚」という教えと、「感じることは苦そのものである」という教えとは、矛盾しないのだろうか、という疑問が起こると思います。ではなぜ、感覚について、「苦そのもの」と強調しているのでしょうか?(本文より)”
ヴィパッサナー瞑想合宿での法話『感覚について ~ヴィパッサナー実践の道しるべ~』と、パーリ経典講義『生きるとは「感覚」のこと Rahogatasuttaṃ(独坐経)を読む ~一切皆苦と「無価値論」の教え~』を収録しました。
目次
1感覚について
~ヴィパッサナー実践の道しるべ~
◆認識とはなにか
遺体と自分、なにが違いますか?
遺体は五感が反応しない
遺体には感情がない?
私は「生きている」
生きているということ、「命」のリスト
こころは機能で場所がない
仏教はこころの機能を研究する
◆自己都合の世界
こころの認識は自分の都合による
花はきれいですか?
蛙はかわいいか、気持ち悪いか
怒り、憎しみ、嫉妬も自分の肉体を守るため
俗世間の知識は人格向上の役に立たない
なんでもかんでも認識の世界
世間の認識を超える
ヴィパッサナーは超人の方法
「都合による認識」をやめる
◆真理へのアクセスポイント
こころは流れるもの
最初に見ている(感じている)
認識するより先に感覚があった
感覚(ヴェーダナー)から始まる
生きているということは感覚
一切は感覚である
感覚を感じながら実況する
身体の苦しみとこころの苦しみ
感覚は一定していない
2生きるとは「感覚」のこと
~Rahogatasuttaṃ(独坐経)を読む――一切皆苦と「無価値論」の教え~
◆「感覚は苦そのもの」なのか?
「生きること」の事実と実感
生命は感覚で生きている
「感覚は変化する」という普遍の法則
◆「独坐経 Rahogatasuttaṃ」解説
比丘の質問
お釈迦さまの回答
苦の説法は「無価値」論である
お釈迦さまの解決策――感覚の滅
感覚の止息と軽安