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ブックカース

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カテゴリ: Kindle版
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「あなたたちに呪いをかけます」主人公ら三人に大学講師が言い放った。
それから二十年後、三人のうちのひとり恵梨香はストーカーを殴り警察に保護され、身元引受人となった残りの二人と再会する。
四十歳になった三名はいびつな人生を送っていた。外資系企業役員である定雄は金も地位もあるが独身でインポテンツ、マイホームパパだった草太は家族を追われて一人暮らし、恵梨香は陰湿な年下の男と同棲していた。
彼らの周りで奇妙な事件が続発する。呪いの言葉が書かれた聖書「ブックカース」が恵梨香のもとに届き、同じ教室にいた同級生殺害のニュースが流れる。恵梨香は講師の呪いだと訴えるが、一切信じない定雄の身にも危害が加えられる。
呪いは存在するのか? 呪いをかけた講師の行方は? 二十年前から現代に繋がる時間に埋もれた真相は何か。
人生の先が見え始めた四十代の苦悩を背景に進むミステリー・サスペンス。

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   1992年


「あなたたちに呪いをかけます」
 広い教室の一番後ろの席で、熟睡しかけていた恵梨香は講師の言葉をぼんやり聞いた。長机から顔を上げると、すり鉢状の教室の底で男の講師がひとり立っていた。恵梨香たち以外の大学生はほとんどいない。ひとりの男子学生だけが最前列で熱心にノートを取っていた。彼は真面目に休まず授業に出ている。ひとりぐらい、そういうまともな人間がいないと世の中はおかしくなってしまう。大学を卒業したら、どこかの市役所に就職して、快適な市民生活の維持に尽力してくれるに違いない。
 呪い。
 ソバージュに囲まれた頭の中で、絡み合った紐が解けるように思考が明瞭になり、ひとつの言葉が浮かび上がってきた。
 あなたたちに呪いをかけます。
 講師は確かにそう言った。隣に座る男の肩に手を置き、小声で話しかける。
「ちょっと、ちょっと、今聞いた?」
 隣の男、定雄は、そのまた隣に座る男草太と話していた。セブンがどうたら、ロータリーがなんたらと意味不明な単語を交わしている。
「ちょっと」
 定雄の肩を恵梨香は強く二度叩いた。
「痛いな。なんだよ?」
 定雄がうざそうな顔を恵梨香に向けた。定雄は乱暴な男ではないが、こういったときの表情はとても冷たい。
「今、あの講師が私たちに呪いをかけたわよ」
「二十一世紀が近い現代に呪いだって? 呪いを払拭する前にまずはよだれを拭いたらどうだ」
「えっ」
 恵梨香は口の周りに垂れたよだれを慌てて指で拭った。王子様の口づけで眠りから覚めたお姫様もまずはよだれを拭いたのだろうか。隣の定雄は私の王子様では決してないが。
「唇が濡れていただけよ」
「なになに、オイルが漏れたのか? スポーツカーにはやっぱりカストロールに限るぞ」
 定雄と話していた草太が割って入ってきた。彼はキチがつくぐらいの車好きだ。
「声が大きいわよ」
 恵梨香は横目で遠くの講師に視線を向けた。
「ダビデはイスラエルの初代王であるサウルの命に従い、ペリシテ最強の戦士であるゴリアテと対峙します。ミケランジェロの有名な彫像の場面です」
 世界の底に取り残された島みたいな教壇で、講師はヨーロッパ古代史の講義を淡々と続けていた。
「聞き違いだろ」
 定雄がクールに言い放った。本人はクールだと思っているだろうが、時にその態度はコールドで、周りを凍りつかせる。
 三コマの終了を知らせるチャイムが鳴った。講師は事務的に授業を終わらせると、すぐに教室から出ていった。
「本当だって! しっかり聞いたって。あの講師、わたしたちを呪うって言ったのよ!」
 誰にも遠慮することなく恵梨香は持ち前の大きな声を出した。公務員候補の男子もいなくなったので、広い教室には恵梨香たちしかいない。
「古代史の講義なんだから、呪いぐらい出てくるだろ。古代ローマにロータリーエンジンがあったと言われれば驚くが。しっかり聞いていたって、お前、ぐっすり寝ていたじゃないか」
 定雄が固形のカロリーメイトを頬張った。彼は学食を決して食べない。あんなにまずいものを食べるぐらいなら学外で食べるか、お金がないならカロリーメイトで栄養補給だけした方がよっぽどましだと真剣に思っている。思っているだけではなく、定雄は自分のポリシーを忠実に実行する強い意志を持つ。
「ちゃんと講義に出席している俺たちが呪われたら割に合わないよな。欠席している奴らを呪うべきだ」
 草太が頭の後ろで手を組む。
「いや、ここにいない奴らも出席している、ことになっている。彼らは決してラグビー場にいるわけじゃない」
 今日は大学ラグビー選手権の試合がある。多くの学生がラグビー場で母校の応援をしている。大男同士が抱きつきあう競技に全く興味がない三人は代返を仰せつかった、もちろん有料で。誤算だったのは、三人が考えるよりもはるかにラグビーに人気があったことだ。おかげで今日の講義はがらがらで、代返が通用する状況ではなかった。
「代返を請け負ったから、呪われたってことか」
 定雄が自分の顎を指で摘む。
 入学時、麗しい男女平等の大学では男女区別なくアイウエオ順に学生が並ぶ。定雄、草太、恵梨香の順番で席につくと、すぐに話すようになった。サークルも違えば、好みも違う、性格はさらに異なるが、一緒の講義のときは三人で連れ立っていることが多い。
「二十年後︙︙」恵梨香が呟く。「そうそう、あの講師、二十年後に呪いがあなたたちを捕らえる、と続けて言ったのよ」
「二十年後といったら、俺たち四十だぞ。もうおじいちゃんだ」
 草太が腰を叩き、年寄りのまねをする。
「人間五十年の戦国時代じゃないんだから、四十歳は仕事に人生に脂が乗ってきたころだろう。俺は独立して社長になっているな。人に仕えるのはまっぴらだ」
 定雄が自信ありげな顔をする。何が彼の自信を支えているのかわからないが、今の彼には自信を柱にした頑丈な建物のような将来が見えている。そんな定雄が少し羨ましく思える。
「俺はフェラーリに乗っているな」
 今の超好景気が永遠に続くなら、草太ですら金持ちになっていてもおかしくない。
「恵梨香は腹に脂肪が乗ってオバサンになっているな」
 草太がにやにやした。
「失礼ね。セクハラよ」
 恵梨香が定雄の背中を叩く。
「草太が言ったじゃないか、なぜ俺を叩く」
「連帯責任よ」
 空っぽの教室に恵梨香の声が響きわたった。声が届いた訳ではないだろうが、教室の外に立つ銀杏の葉が激しく揺れた。

 二十年の時を経て理不尽な連帯責任を二人の男は再び背負うことになる。


   2012年


 警察から連絡があったのは、定雄が資料の不出来を部下へ指摘していたときだった。一目見てそのグラフの数字は間違っていた。自分で作ったのにどうして気づかないのか定雄にはさっぱり理解できない。
 苛立つ気持ちを顔には出していないが、普段は無視する仕事中の電話を思わず取ったのは、自分の気持ちを完全にコントロールできていないからだろう。自分もまだ甘いと自己分析しながら、定雄は携帯電話を構える。
「川崎中央署の者です」
 自分よりも冷徹な声を聞いたとき、頭に浮かんだのは脱税だった。会社からもらったストックオプションを売却したのに申告していなかった。自分が警察から目を付けられるとしたら、それしかない。
 いや、脱税だったら警察ではなく、税務署から連絡が来るはずだ。どちらにしても懸賞が当たりましたみたいな脳天気な知らせが警察からくるわけがない。部下に聞かれて自分にプラスになる話ではないことは確かだ。
「すまない」
 携帯電話を手で押さえて、定雄はミーティングルームを出る。ドアが閉まる寸前に部下をちらと見ると困惑から安堵の表情に変わっていた。少し脅かしすぎたか。いや、こちらが本気を示さなければ、彼は伸びない。彼のためだ。そう簡単に人は変わらないのだから。
 定雄本人が話していることを確認すると、電話の主は自分が川崎中央署の刑事だと定雄に明かした。
「どこで私の携帯の番号を知ったのですか?」
 我ながら愚問だと思った。今のご時世、個人情報など簡単に入手できる、ましてや警察だ。我々よりも遥かに多い入手ルートを確保しているに違いない。ただ自分から質問することで会話をリードしたい気持ちが先に立った。会社にいると仕事と同じ考え方をしてしまう。自分のいる場所が思考に影響を及ぼすのは自分の感情が浸食されているようで気持ちが悪い。
「岩下さんです」
 その名を聞いたとき、岩下が誰だか過去の記憶に到達する前、刑事の無機質な声質とは裏腹に懐かしい気持ちが心に広がった。
「岩下恵梨香ですか?」
「はい」
 恵梨香の名前を口にするのは十年ぶりだ。大学の同級生に呼ばれた結婚式で再会して以来だ。携帯の番号はそのときに交換したのだろう。二十年前の我々は有線に繋がった電話でしか連絡がとれなかったのだから。