玉蘭も是非。
★★★★★
二千章からなる小説。定年退職した彼女を小説に突き動かす原動力は何なのだろうか。60歳から始まる新たな人生とは何なのか。女の心の闇の部分は、30代半ばの男性である自分には想像もつかない。この小説では定年は60歳だが、もう自分のころには50歳くらいが定年なのではなかろうか。すでに折り返しは過ぎたのだろう。どうも引っかかることがある。読み終わった後で、ずっと気になっていた。ところが、ある日そのなぞが解けた。夜の新宿駅西口、歩道橋の下の柱に立ち、自作の詩を販売している女性がいる。聞けば20年以上前から同じ場所に立ち続けているとのこと。小説の主人公を動かす原動力は、夜の新宿に20年立ち続ける、孤高の詩人の女性と同じなのだ。家路を急ぐ会社員の流れに逆らうように立ち続ける彼女。生産性、効率性など無縁の世界。一途に立ち尽くす、その姿は都市の墓標なのか、はたまた灯台なのか?さて、新宿の高層ビルにあるうちの会社。夜の20:00。いつもどおりパソコンに向かい残業する。ふと我に返りあたりを見渡す。あれあれ多数の女性社員が残業...。派遣社員、アルバイトは、みな予定があるらしく早々に退社。ベンチャー企業として始まった当社、起業から10年。みんな10歳年をとった。みんな独身。彼女たちもすでに30代半ば。一人で生きていく決心はできたのだろうか?ふと上司と目が合った。「お前、誰か一人水揚げしてやれ」目が私にそう訴えていた。最近の先生の作品に物足りなさを感じている人に...。グロテスクやOUTではない、読まねばならないのは玉蘭であると言いたい。
まだ足りませんか?
★★★☆☆
ここまで売れてもダメですか? 作品が映画化され、英訳され、文芸誌の表紙を飾り、電車の中吊り広告で一番大きな字で名前を書かれても、それでもまだダメですか?
たった数人の批判があれば、何百の賞賛、何十万冊の売り上げがあっても、ここまで必死になるくらいに不安ですか?
尽きぬ不満、底なしの欲望、これこそが彼女を推し進める原動力であるのかと。通俗もここまで推し進めると非凡へとステージ転換してしまうのかと。なんだか妙な感動がありました。
美人なのに、なぜ、「おしゃれで、軽やかで、人生を知り尽くした良い女」を演じないのでしょう、この人は。
嘘を演じなくても愛される自信があるせいかもしれませんが。
そんなふうに思ってしまう、ぬっとりと濃お〜いエッセイです。
キリノイロイロ
★★★★★
まずは単行本の装丁が素晴らしい。ファンとしては感動しました。
内容ですが
●ショートコラム
様々な事象に対し、自分の想いを重ねていくコラム。著者の生活が垣間見えるところがうれしい。
●日記
OUT受賞前後の日記が詳細にかかれている。家族が登場したり、スーパーでの買い物があったり・・・
仕事以外の著者が見えてファンとしては幸せ限りなしでした。ファンでない方はあまり・・かもです^^;
●エッセイ
いわゆるエッセイになりますが、著者の性格上非常に深く楽しめる内容です。
●書評・映画評
評論といっても、映画評より出演者の心理的評論や生き様評論の部分が強い?そんな人間的な著者を垣間見る事が出来ます。
●ショート・ストーリー
せつないものからえ?ってものまで。
●白蛇教異端審問
表題となった章。著者が一番見てほしいから表題になっているのでしょう。
元々、この内容のこういうところが好きで「桐野夏生という小説家が好き」という以上のファンを勝手にやっていますが、
これを読んでいると元気が出ます。※明るい話ではなく、戦うというモチベーションが出来上がるという意味でです。
女性にはぜひとも読んで頂きたい。
●あとがき
キリノ様が過去を回顧して書かれています。
読むだけで当時の辛さとキリノ様の強さが窺えます。
ファンにはたまらない作品でした。
ファンでない方には、強い・・・いや戦う女性の形を文章にした素晴らしい作品として薦めたいです。
普通の主婦・母親、そして“クールでいて熱い”物書き
★★★☆☆
なんだかおどろおどろしいタイトルですが、これは『OUT』、『柔らかな頬』などで有名な作家、桐野夏生さんの作家デビュー12年目にして初のエッセイ集です。
桐野さんというとその外見から「クールなミステリ界の女王」のイメージですが、ここに登場する彼女は「ヘアスタイルや服装を気に」したり、「ダイエットし」たり、「夕食の献立を考えて用意し」たり、「お嬢さんのお弁当を作った」りする、どこにでもいそうな仕事を持つ普通の女性であり主婦であり母親です。
しかしやはり「クールでいて熱い」物書き。最後のエッセイではそんな激しい彼女の一端がうかがえました。
著者初のエッセイ集です。
★★★★☆
題名だけが目に飛び込んできて「面白そうな小説だな」と取り寄せたらエッセイ集であった。作者のファンなら、その肉声が聴けて重宝するかも知れないが、「OUT」という作品のファンなので、よくある身辺雑記の類だと閉口するなと危ぶまれたが、杞憂であった。掌編小説や書評・映画評も盛り込まれており、美味しそうな幕の内弁当のようにバラエティに富んでいる。読み進めていくうちに、何度も桐野夏生の小説に対する姿勢の貪欲な真摯さに瞠目した。本書を飾る末尾は表題作。無責任な匿名批評、ある評論家のその人間性まで扱き下ろすかのような批判に対する正当な反論が面々と綴られている。正直圧倒されてしまった。誹謗中傷などは「知らぬ存ぜぬ」で押し通したほうが精神的に楽なはずなのに、筆者は真っ向から立ち向かっていく。作家の小説に対する矜持を目の当たりにし、彼女の新作小説がさらに待ち遠しくなった。