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貧しき人びと (新潮文庫)

価格: ¥460
カテゴリ: 文庫
ブランド: 新潮社
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「神と悪魔が闘っているその戦場こそは人間の心なのだ」ミーチャ ★★★★☆
ドス作品と聖書との関係は、既に処女作から発揮されている。
読み返した二度目でようやく気づいた。そうか著者は本書で、
キリスト教のアガペーを伝えたかったのかと。
たとえば、悪の誘惑を青マーカーで、神の愛を赤マーカーで引いてみる。

悪◆添付のお菓子、ラタジャーエフの噂話、悪口、冷血に担保要求する金貸し
愛◎ポクロフスキーの看病→ママ快方→プーシキン全集の譲りあい

悪の行動は◆登場人物たちに後悔や破滅、絶望など負のスパイラルを招く
いっぽう
愛の行動は◎善意のバトンリレー、助けあい、分かちあい、人間関係をつなぐ

するとハッキリとした対立軸がみえてくる。
宿屋のオカミ、職場の同僚、友達の文士など世知辛い世の中で、
おとなしい下級官吏マカールは、貧困に苦しみ人間不信に陥りかけるが…

やがてマカールは、3つの試練に直面する。9月5日196pだ。
その後、ついに神が登場する。
その時はたして彼は、天使の一本の葱を手にしているか?…読めば分かる。
なぜ小説を読むのか? ★★★☆☆
本編は往復書簡集を小説化したものです。ドフトエフスキーの処女作です。

恋愛物ですし、ドフトエフスキーにすればさほど難解な内容でもありません。

この往復書簡の中に「小説は享楽的で下賎なもの」という表現があります。
当時はテレビもラジオのインターネットもなく、小説が娯楽でしたのでしょう。
現在のように教養の1つとしては認められなかったのでしょう。

「ここで小説はなぜ読むのか?」というテーマに突き当たります。
出版関係や作家の人々、学生時代の読書感想文の義務を除いて「なぜ
不必要なものをわざわざ読むのか?」というテーマです。

私は様々な人々に訊ねてみると「気分転換に」「趣味だから」などのコメントが
多かった。私自身はやはり「享楽的で且つ何かを得られる機会」と申します。

やはり楽しみでなければ小説なんて上記の義務以外に読まないわけですし、
楽しまなくては勿体無い。

当時の往復書簡集は現在ではメールのやり取り、リレー小説に引き継がれています。
テクノロジーは進歩してけれども、人間の求めるものは普遍的なのでしょう。
毒気が少ない作品 ★★★★☆
本作は、マカールとワーレンカの往復書簡という形式を通して、貧しい中にも互いに助け合う人間の美しさを描きます。最後は、ワーレンカが自らの愛情にそむきながらも、生活のためにブイコフと結婚し、マカールとワーレンカの関係、即ち手紙の遣り取りは終焉を迎えてしまうわけですが、貧乏ながらも愛のある生活を採るのが正しいのか、あるいは生活のために愛にそむいて生きていくのが正しいのか、という事を考えさせられました。

本作は、ドストエフスキーの処女作であり、「第二のゴーゴリ」などとして文壇に受け入れられた作品ですが、あるいはドストエフスキーも「生活のために」この作品を書いたのか、彼のその他の作品に比べて毒気が少なく、誰にでも受け入れやすく、非常に読みやすい小説となっています。
圧倒的な共感 ★★★★☆
ドストエフスキーのデビュー作。後の大作群に比べると小品なのだが、彼の特徴はデビュー作から良く出ており、人間観察に基づく圧倒的な心理描写、庶民の視点に立った温かい思い遣り、そして何と言っても読者を物語に引き込む職人芸、これらが全て本作でも発揮されている。

物語自身は、下級官吏と下流層の若い女性の恋を主に書簡を通じて語るというもの。ロシア文学の伝統か、男側はやや高齢に設定してある。男は自分に自信がないため、書簡の中で饒舌となる。この饒舌性はドストエフスキーの一つの特徴であり、会話の中であれ、地の文であれ、作者の迸る心理描写は止まる所を知らない。作者自身も貧困のドン底で作品を書いているので、作者が主人公二人を初めとする貧しき登場人物達に同情の眼差しを向けるのは当然であろう。そして、作者の想いをそのまま読む者に伝える事ができる並外れた筆力が、またドストエフスキーの特徴である。更に、文学性を考えずに単なる通俗小説としても読める作品を生み出す力も驚嘆すべきものがある。本作はデビュー作でありながら、これらの特徴が全て出ているのである。

結末を安っぽいハッピー・エンドにしないのも作者らしい。本当に泣けてくるのである。これで、一番軽めの作品なのだから、ドストエフスキーは恐ろしい作家である。世界の最高峰の小説家がその持ち味を出し読む者の圧倒的共感を呼ぶデビュー作にして傑作。
マカール氏に共感 ★★★★☆
私の初めてのドストエフスキー作品でした。
「罪と罰」が読むべき名著であることはわかっていましたが、なんとなくロシア文学というと小難しいイメージがあり、まずは薄い作品から読破してみようと思い本作を手にとりました。

本作は、マカール氏とワーレンカ嬢との間でやり取りされた書簡を交互に載せるという構成です。
マカール氏の手紙には、己の惨めな人生を卑下する文句がいくつも散りばめられています。
ここだけの話、私の人生もかなり惨めなものであるので、マカール氏は私の代弁者であると感じるとともに、それを小気味よくも感じました。

そんなマカール氏の言葉をいくつか抜粋します。

「ワーレンカ、私は無学な老人です。若いころに勉強をしなかったので、いまさら勉強をはじめたところで、なにも頭に入らないのです」(p.23)
「あの人の前に出れば、わたしなんか一文の値打ちもありません!ほんとに。あの人は有名な人なのに、このわたしは何でしょう?ただもう―存在しないも同然じゃないですか」(P.100)
「わたしなんか木偶坊のようなもので、われながら自分が恥ずかしくてしかたがないものですから」(P.101)
「自分をなにか意義のある人間のように考えるのは、とんでもないこのとのように思いました」(P.183)

この自己卑下っぷりが好きです。

さて、意外とドストエフスキーは読みやすい作家でありました。
そして、世間のものごとに対する洞察がとても鋭く、文章から得るものは多くありました。
私は、ボールペンで気に入ったところには線を引きながら本を読むのですが、本書は見返してみるとラインを多く引くことができました。

次は、「罪と罰」などの長編の作品を読破してみようと思いました。
きっと、そこからも得るものは多いことでしょう。