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死の家の記録 (新潮文庫)

価格: ¥810
カテゴリ: 文庫
ブランド: 新潮社
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説明通りの商品 ★★★★★
経年変化はありますがとてもキレイでした。ありがとうございました。
ドストエフスキー後期の作品をより深く理解する必読書。 ★★★★★
小説的なスタートでありながら、事実上作家自身のシベリア流刑時代の手記と解釈していい。
この体験なくして後期ドストエフスキーの人間心理の奥深い洞察はあり得なかったであろう。また小説という形式ではないので、非常にストレートな表現で書かれていて判りやすい。後期の作品をより深く理解する意味での必読書といえる。
およそ考えうる最上の獄中体験記 ★★★★★
この本は表面上は『妻を殺した貴族の監獄の記録』と言うことになっていて、小説の形を取っているのだが、実際はドストエフスキー自身の監獄の体験記と言う形のドキュメンタリーである。

ストーリーと言うものはほぼなく、監獄の情景や人間の、密度の濃い描写が延々となされるため、読み続けると疲れるかも知れない。しかし時々手にとって少しずつ読んでみることで、19世紀ロシアの『滅び去った民衆』、つまり『最底辺の人々』の暮らしぶりに自分を共鳴させることができる。

その意味で、『カラマーゾフの兄弟』よりも現代に流行ってもいいと思える一冊。格差社会の中で、我こそは最底辺だと自称する自虐的な人たちが最近増えているが、そう言う人に読んで欲しい。選りすぐりの最底辺の人たちが屈強に生きる様が、そこには描かれている。
しかし、分かりやすく『最底辺』と言う言葉を充ててみた訳だが、それはあまりに表現力不足で、囚人達に失礼と言うものかもしれない。

『地下室の手記』とともに後の五大小説の母胎となったと言うことはあまりにも有名。これはどちらにも言えることだが、読んでひたすら暗くなる、と言うわけではなく、陰鬱な描写の中にも突拍子に明るい描写が混じっていたりして、思わず噴出してしまうシーンすらあったりする。ドストエフスキーの小説の多くはこのような特性を備えているので、意外と読後感は悪くないと思う。

罪を犯し監獄に入れられても、人生はまだまだ続くのだと言うことを学んだ。人間はつまるところそこで死刑にされるなり、あるいはこれはシャバでも獄内でも同じことであるが、病気やら自殺やらと言った要因で、要するに死ぬまで生き続けるのであり、その結果人生は続くのである。『滅び去った民衆』と言う表現が出てくるが、社会的に破滅したとしてもまだまだ人は生き続けるのだ。
その後の小説群の母胎となった記録文学の傑作 ★★★★★
ペトラシェフスキー事件で思想犯として逮捕され、四年間のシベリア流刑となったドストエフスキーが、獄中での体験を記した作品。作中では貴族の主人公の獄中見聞録となっているが、作者自身の経験を基にしている事は間違いない。読む前は、ドストエフスキーの獄中記と言う事で、思索的な面が鬱々と語られるのかと思っていたが、案に反して、そこにあるのはロシア文学そのものであった。

ドストエフスキーは文字通り、記録者に徹している。しかも、貴族の主人公に仮託して。監獄中で繰り広げられる囚人や刑吏達の様々な人間模様及び生活習慣が、作者一流の精緻な描写で描かれている。一見、無邪気に見えるが実は監獄一危険な男。自身の過去の犯罪歴を自慢する割りには度胸のない男。数奇な運命の結果、囚人となった男。刑吏と内通する男。笞刑に耐える強靭な男。無邪気な振舞いで皆に明るさを与える不思議な男。飼馬・山羊を愛する囚人達。金や酒の盗難や喧嘩の横行。足枷を着けたまま風呂に入る方法。クリスマスに監獄全体が華やぐ雰囲気。そして、病棟生活(ここでメモを取ったようだ。この章は考察が多い)。細かいエピソードを豊富に盛り込んで、獄中の様子を浮き彫りにしている。ドストエフスキーは獄中を決して暗くてジメジメしたものとは捉えない。描かれるのは、ある種、居酒屋の風景であって、そこには酒を楽しみ、騒ぎを起こし、自分の立場を喚き立てる囚人達の姿があり、ロシア人そのものを描いていると言っても過言ではない。その人間観察の手腕は流石にズバ抜けている。特に人間の本質と普遍性に敏感な点が印象に残る。「罪」と「罰」のバランスの考察がサラッと書いてあるのも興味深い。

本作では、意識的に作者の思索は抑えているが、上記の人間観察がその後の傑作群の母胎となったと思う。ドストエフスキーの小説を語るには欠かせない記録文学の傑作。
さようなら! 自由、新しい生活、死よりの復活 ★★★★★
“罪と罰”“白痴”“悪霊”“カラマーゾフの兄弟”といった超大作群を生み出す前に世に問われた作品で、その特異な構成は小説というよりは記録文学のはしり−に近い気がします。 すでにラスコーリニコフやスタヴローギン、カラマーゾフらの原形と思しき人々も描かれており、まさにドストエフスキーの出発点と言える作品です。 後期のドストエフスキー作品において特徴的な壮大な観念論や饒舌癖があまり見られないので読みやすく、その冷静な写実性が当時のロシア文壇で高く評価されたーと、解説にもあります。

やはり感動的なのはラスト近くの“ここまで来たら、もう何もかも言ってしまわなければならぬ−”から始まる一文で、高校生の頃初めて読んだ時はただ感情的に、感動に浸っていただけなのですが、大人になってから読み返してみても、不当に失われた時間、才能、生命というものに対する共感の言葉としてまれに見る輝きをもった一文だなあ−と思います。 ドストエフスキーはあくまでもシベリア監獄の囚人達をおもって書いている言葉なのですが、これは不当な苦しみにあえいでいる、すべての善良な人達に対するいたわりの言葉として通用すると思います。 今では廃れてしまった言葉ですが、こういうのを“世界文学”というのではないでしょうか。  他の作品群とは一味違う、希望に満ち溢れたラストも素晴らしい。 長すぎるドストエフスキー作品、一体どれから読んだらいいのだろう?と、思っている方には断然お薦めの一編です。