もっと醜くてよい
★★★★☆
私も音楽家なので、読んでいて正直辛いなという箇所がありました。いろんな意味で。
ただ文中で東野自身の心理描写としてかかれていますが、
「一応は音楽で身をたてているが、演奏だけを生業にするまでではない。それでも演奏家でありたいと思う」
このような演奏家が果たして、天才的な素質を持つ人間を前にしたら・・・
この小節のようにはいかないと思います。
その才能は、「天才」と2文字におさめれるものではなく、東野を圧倒し己の限界をさまざまと見せ付けるもの。
果たして「なんとか育てたい」と思うのか否か、ですね。これを否定してしまうとお話がはじまりませんが。
実際に音楽の世界で生きてみると、天才と呼ばれさらに活躍しているのは1%にも満たないと思います。しかし多くの人間が神様から半端な才能を贈られ、それゆえ苦しみ、それゆえ時に喜び演奏しています。しかし多くの天才は音楽をすることに幸せを見出せているのかと問われたらどうでしょうか。本人にしかわからないでしょうが、自覚できるほどの才能ではない才能を持って演奏している人たちは、音楽に選ばれているのです。そこに本人に意思があるか否かは神ぞ知るです。
才能で測れるほどの才能は才能ではない
と言います。が自覚できる才能の持ち主には選択権が与えられ、苦しみますが喜びもあるのです。その喜びは何者にもかえがたくしかし苦しみは恐怖です。
この作品はとても綺麗です。生々しい描写さえ卑猥で美しい。だけれど「生」が感じられない。東野が「一流になれない二流の苦しみ」を超えて、チェロを教えるということに何かを見出したならそれは「愛」以外何物でもありません。
本作品はラブストーリーだと思います。
音楽に関しては、篠田さんは実際とてもお好きなのでしょうし、ちゃんと取材されたのだなとうかがいしれます。プロの仕事だと感心いたしました。
でも曲の解説や技巧的な問題があまりに精密に描写されていてかえって「蛇足」の感も。
読者層を絞って書かれた作品というわけでもないでしょうし、もしご本人の感性なのだとしたら、演奏されないのが惜しいですね。
今後も音楽家についてかかれることがあったら、もっと醜く書いていただきたいものです。
人生の 芸術の できそこない
★☆☆☆☆
由希のみっともない姿が丁寧に書かれすぎていて残酷な 卑劣な視線を感じました 「薬を投与すれば何でも言うことをきくようになる」なんて医師に対する患者に対する侮辱です 由希が可哀相だと並べていましたが、あるまじき優越感に裏打ちされたニュアンスでした 作者の意地悪さと不信感を感じました 取材の丸写しが多いのは作者に分析力 想像力がないのでしょう 真似しかできない演奏家 弟子の限界を喜ぶ教師 罪なくして見捨てられた主人公 人間性も才能も二流 三流の人物しか出てこない小説にどうして学んだり感動したりできるのでしょう? 独創性の何たるかを示せず 芸術と人生の新たな相互作用も見出せぬまま終わるこの作品は何のために書かれたのでしょう?弱者を晒し者にして何が残されたのでしょう?障害者団体に抗議されないのですか?
大江健三郎氏が本書を読んだらどんな気がするのでしょう?
まあまあ(笑)
★★★☆☆
ホラーって感じは全くなく、なんていうか、演奏者の心理が印象的でした。
上手い作家さんなので、最後まで勢いに乗って読ませます。
音楽をやってた人なんかには、特に面白いのかも?
よい作品です
★★★★☆
音楽にひかれるようになった中学生のころ、ドラマで見ました。しかし断片的にしか覚えておらず、また障害に関しての知識も今より断然少なかったため、改めて大人になった今読んでみても新鮮でした。おぼろげな記憶では、やはりドラマと原作では設定が少し違うような。(どちらも悪い印象はありません。)同じく音楽をモチーフにした作品「カノン」もお勧めです。
人の能力は計り知れない
★★★☆☆
人とは違う感覚で物をとらえ、自分の世界の中だけで生きている由希。音楽的な才能を伸ばすことで、彼女の世界を広げようとする人たち。その間には越えられない壁がある。人間の脳はひとつの宇宙だと言った人がいる。現代の医学や科学では解明しきれない謎がたくさんある。東野は知らず知らずの間に、由希の宇宙に飲み込まれていった。それは音楽家としてなのか、一人の男性としてなのか?
東野が選んだ結末を、由希も望んでいたのだろうか?彼女の微笑がその答えなのだ・・・。