作家の仕事
★★★☆☆
柳美里の文学の世界で「性」は、フロイトの言う深層心理のように表面化の有無に関わらず常に潜在していると思える。また作家の仕事とは、ある面では、言葉になりにくいものを語彙と表現を駆使して言葉にして行くものであるが、筆者は本書を請われて書き綴っている。
この内容は、かなりの部分でノンフィクションなのであろう。それにしても、筆者の関わって来た相手の男というのが、かくまで妻帯者ばかりというのは、なぜであろう。
それについて、筆者は、全く注釈も説明もしていない。
筆者にとっての「性」は、被虐的なものでなければならず、最初から破滅(苦痛に満ちた結末)を予感させなければならないのだろう。健康的な、みんなから祝福される関係の「性」には、どうも惹かれなかったらしい。(現在の同棲関係は不明であるが)
その筆者も、42歳になり、まだまだ筆者自身にとっての「性」は生々しい自分自身の本質のままであろうが、「オンエア」より「性」を主観から客観に据え換えて、描写するようになっており、読者として少し安心して読めるようになっている。
精神と肉体の深いつながり
★★★★★
精神から身体全体が、その作家の書く文章の中に取り込まれていく。
読むたびにそんな感覚になる作家が柳美里です。
この作品は、目、耳、つめなど身体の各部位の名称を表題とする18の断章。
主人公はポルノ小説を書こうとする作家の日常と、ノートに書かれた小説の断片が効果的に絡んで作品となっています。
主人公の作家は柳自身。
章題の身体の各部位にまつわる、彼女の男性経験が語られています。
彼女が寺山修司の「セックスは『末梢神経の摩擦に過ぎない』」という言葉を引用して、「快感は脳で感じるもの」と断じ「セックスは完全に脳の行為である」読んで、以前付き合った男性で、同じような事を言った人を思い出しました。
女性の私は確認する術を持たないのだけれど、相手に愛情や興味がなければ、セックスもただの処理になってしまう感覚は分かるような気がします。でも逆に、心は求めていなくても、自己防衛の本能から身体が反応する女性としての感覚も分かるのです。
作者が断言するように、脳の行為とまではきっと一生かかっても分からないような気がしますが、相手と自分を傷つけながら、深いつながりを求める姿勢が羨ましいです。
「女」を知る本
★★★★☆
私の持っているのは、この2002年のものではなく、2000年の初版第一刷のもので、本のカバーはこんなものではない。それは先に言っておかないと。
さてこの本は、題名とは裏腹に、「女」を知る本だと思う。男にとって。男を愛する女を、その体を通して知る本だと思う。体が心に通じること。愛する女の体の全てが愛すべきものであることを知る本だと思う。
この本は、女が読むと、逆に男を知る本なんだろうか。それは私にはわからない。
何と言うか、愛する女には読ませたくない、と言う気もする本である。
「八年ほど演劇の世界にいた経験からいうと、恋人役を演じるとかなりの確率で恋人同士になってしまう。このことは恋がいかに遊犠牲と演劇性に支えられているかを物語っている」
通りすぎていく男達
★★★★☆
著者は個人の体験を、小説にするタイプの最も代表的な作家のひとりですが、この作品は小説的括りではなく、連載されていたエッセイを1冊に纏めたものなので、そのリアリティは読者により生々しく訴えかけてくるものがあります。
よくある私小説的なつくりとも一味違った構成が、ともすればどうでもいいと思いがちな他人の恋愛遍歴を、自分の「それ」に当て嵌めざるを得ない説得力は一読の価値ありです。
摩擦し合い、傷つけ合って、それでも男と女は生きている。
柳美里の心の整理の為の本
★★★★★
この本は柳さんの本の中で、一番彼女の秘密が書かれている。柳さんの本はいつも静かで、感情がつねに一語一語にこめられている。この本では、柳さんの不倫相手に対しての憎しみ、孤独、後悔、愛情が書かれている。Titleは男。でも、彼女の本当の目的は彼に対する心の整理、復讐だろう。 だから、本当のTitleは(The 彼)。