熊野古道、読んでから歩くか、歩いてから読むか
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紀州路、熊野街道では王子社の多くに明月記からの抜粋資料が掲示されています。 これを読みつつ足を進めるうちに、後鳥羽院の随員のひとりになったような気分になってきます。 藤原定家は、後年、正二位、権中納言まで出世し、後世には小倉百人一首を残し、現在もなお歌道の名家として残る冷泉家の祖としても名を残しました。
しかし、その定家も後鳥羽院の熊野詣に随行したときには四十歳、ようやく前年に昇殿を許されたばかりです。自分の子どものような少将どもと混じり、情けなさに身の不運を嘆いたり、、院のわがままに振り回され、咳病など持病をおしての宮仕えの苦労もあるなど、800年前の官僚の日記が身近なものに思えてきます。文明は進んでも人間のやっていることというのは、たいして変わらないものだということをあらためて感じさせます。
若い定家から老いた定家へ
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19才の定家は今の10代と全然かわらないので、総てに「オレの知った事か」と書くし、20代後半の定家は「出世できーん」「上司がバカだと困るわ」と書き、30代の定家は「肩がこる」「歯が痛い」「あああ、痔かも」と嘆く。40代の定家は「子供は父親の気持ちを汲んでくれない」って愚痴る。定家に愛を感じますよ。
定家を通して見た平安末期の世相と和歌の完成1
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著者堀田善衛が青年時代から暖めて長い年月を要して書き上げた和歌の主家藤原定家の日記。本文の和訳がカタカナで書かれているのは読みずらいが、それは本の一部であり読んで行くうちに慣れてくる。青年から壮年時代の定家の和歌と彼の日々の生活、大遊戯人間としての後鳥羽院への宮仕え。平家が滅亡するのを横目に苦労して生きた定家。当時の後鳥羽院の取り巻きの人々の生活は呆れるばかりであるが、その中から和歌が完成されてゆく。著者のお陰で定家の日記が現代に甦って平安末期を体験できる本だ。和歌への理解も深まる。