本書を貫くショーペンハウアーの頑ななまでの信念、それは「幸福とは幻で、苦悩だけが現実」ということだ。しかしこの言葉のみを拾い上げて「地に足の着かない空論」と呼ぶのは読者としての資質のなさを却って露呈することになる。彼はこれを立証するのに、彼一流の実に美しく巧みな喩えと表現とを用いており、さらにそれらの喩えがまったく即物的で、的確に理解できるところが素晴らしい。美しい数式を用いて表現された物理法則にも似て、平易な形而下の言葉を用いながら、見事に形而上の世界を表現し尽くしている。これは換言すれば、言語の如何を問わず、翻訳によって原意が損なわれることがなく、彼の活きた哲学が読めると言うことでもある。これこそが、ショーペンハウアーが古今東西を問わず、「当代随一の文章家」と評される所以であろう。ドイツ語で読むことができれば、さらに素晴らしい文章を堪能できたであろうに・・・。
そして彼は、「この世に唯一存在する幸福があるとすれば、それは不幸を徹頭徹尾、遠ざけることだ」と力強く主張する。ここでも彼の文筆は冴えわたり、ウィットの妙を尽くす。
私は本書を読んだのち、ここで説かれている生き方が「ネガティブすぎる」とそれまで根拠なく盲信していたことに今更ながら気づいた。そしてそれ以後彼の説くままに生き始めたところ、なんという安息が私に訪れたことか!カントの哲学がいくら優れたものであったとしても、これほどまでにダイレクトに私の実生活に食い込むことはなかった。本書はそれほどまでに優れた、「実践の書」なのである。
しかしここで指摘しておかねばならぬことがある。本書は本来、「(幸福に生きるための)生活のアフォリズム集」という原題であった。しかし、訳者のまったくの独断で、これが「孤独と人生」に改題されてしまったのだ。キビキビとアクティブな内容・原題の、まさに180度正反対の題名である。何という暴挙だろうか?!これは、一昔前の「ショーペンハウアーと言えば厭世哲学」という、まるで根拠のないバカな先入観をそのまま肯定してしまった独断だ。許し難い行いである。私はここで、訳者に猛省を促したい。このような独断によって、ショーペンハウアーに正しい陽が当たることが、またもや妨げられたのであり、それに大手を振って荷担したこの無知蒙昧な訳者の暴挙は、決して許されるべきものではないのである。