実存主義はヒューマニズムである、というと、どうにも現代思想の主流には逆行してしまいそうですが、人間が人間である以上、人間の死、と言うだけではすまない問題がありそうな気がします。「相対性理論」や「不完全性定理」などからの連想で、真理や正義は相対的なものだ、と考える人たちがいます。たとえばフーコーは<司牧者権力>というような問題提起をして、権力の裏面を暴いて見せました。それはその通りに違いありませんが、このような捉え方は、権力構造はいつでも逆転し得る、という相対面を強調しすぎる結果、現に存在している、たとえば国家権力のような圧倒的な権力を見えにくくしてしまう側面があります(サルトルには、「構造主義」は資本主義を守る最後の砦だ、と見えていたようです)。ーー実際、理想・正義は相対的なものだ、というような主張は、頭の中でいくら理解できても、たとえば現に存在しているイラク戦争に対して、どういう方向を示してくれるのでしょう?
唯物論だけ観念論だけで世界を理解するには限界がある。「人間」に触れすぎた針への反動として「構造主義」が登場したとすれば、現在はむしろもう一度これを「人間」のほうに揺り戻す必要があるのではないか? 「超人」(人間の死後)を云々する前に、私たちはまず最後の「人間」を生きるべきではないか?