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ブラウ(青)作戦

価格: ¥0
カテゴリ: Kindle版
ブランド: 六角堂出版
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独ソ戦(第二次世界大戦におけるドイツとソ連の戦争)の勃発から約一年が経過した1942年6月28日、ドイツ軍は東部(ロシア)戦線の南方戦域で、大規模な夏季攻勢を開始した。「ブラウ(青)作戦」という秘匿名を付与されたこの作戦の究極的な目標は、カスピ海沿岸の巨大な石油産出地バクーを中心とするコーカサス(カフカス)地方の油田地帯を占領し、戦時経済の維持に不可欠な「石油」という戦略物資を、敵であるソ連の手から「奪い去る」ことだった。

よく知られているように、ドイツの独裁者アドルフ・ヒトラーは、1940年5月の西方攻勢「ゲルプ(黄)作戦」で西の大国・フランスの打倒に成功した後、同様の「電撃的な短期決戦」で東の大国・ソ連を倒すことも充分可能だと考え、1941年6月に300万人の兵力を投入して対ソ侵攻「バルバロッサ作戦」を発動した。しかし、彼の目論見は大きく外れ、ソ連領内の奥深くに進出したドイツ軍部隊は各地でソ連赤軍の粘り強い抵抗に遭遇し、短期決戦から長期戦への態勢変更を余儀なくされていた。そして、前線の将兵が零下40度から50度という苛酷なロシアの「冬将軍」の猛攻をなんとか凌いだ後、ドイツ軍の上層部は、1942年春から夏にかけて、宿敵であるソ連の戦争継続能力に決定的な打撃を与えるための、新たな攻勢計画を立案した。

それが、この「ブラウ作戦」だったのである。

戦史研究の分野では比較的知名度の高い「ブラウ作戦」だが、実際にドイツ軍がこの作戦を正式に「ブラウ作戦」と呼んだのは、準備段階の1942年4月7日から6月30日までの約三か月で、作戦開始日の6月28日から数えると、わずか三日に過ぎなかった。この事実が象徴するように、「ブラウ作戦」は開始直後から様々な理由で修整に次ぐ修整を加えられ、最後には原型から大きくかけ離れた形へと変質してしまった。戦略規模での巨大な作戦が、最高司令官ヒトラーの場当たり的な「思いつき」によって粘土細工のようにこねまわされると、個々の局面での「成功」と引き換えに作戦全体のバランスが少しずつ傾き、最後には自らの重さによって倒壊することとなった。

それでは、ヒトラーはいかなる戦略意図をもって「ブラウ作戦」の発動をドイツ軍に命じたのか。当初計画された戦略および作戦の内容は、開始後にどう変質し、ドイツ軍上層部が作戦開始前に企図した「ブラウ作戦」の作戦目標は、どの程度達成できたのか。そして、この作戦の推移は、この作戦の推移は、ヨーロッパにおける第二次世界大戦の戦況にいかなる影響を及ぼしたのか。

本書は、主にドイツ側の視点から、前年の「バルバロッサ作戦」に次ぐ兵力規模で行われた「ブラウ作戦」の戦略構想とその経過を、わかりやすく解説した記事です。2013年11月、学研パブリッシングの雑誌『歴史群像』第122号(2013年12月号)の記事として、B5判16ページで発表されました。ヨーロッパ戦域における第二次世界大戦の転回点となった「スターリングラード攻防戦」が、どのような理由によって発生したのか。それを知る上でも重要な意味を持つ「ブラウ作戦」について、理解を深める一助としていただければ幸いです。


《目次(見出しリスト)》

わずか三日のみ使われた「ブラウ作戦」の呼称

《ヒトラーと夏季攻勢の戦略構想》
一九四二年夏のドイツ軍戦略計画案
「ブラウ作戦」の準備
望み薄だった「コーカサス産石油の活用」
ソ連の戦争経済とバクー油田の関係

《開始から数日で揺らぎ始めた基本戦略》
敵の手に渡った作戦の命令文書
「ブラウ作戦」の開始と作戦名の変更
ヴォロネジで狂い始めた歯車

《週ごとに変転した作戦構造と軍事戦略》
南方軍集団のAB二個軍集団への分割
致命的な修整:「総統指令第45号」
ヒトラーの朝令暮改とボックの罷免

《「油田地帯の占領」という夢の終わり》
「茨の道」を進むA軍集団
挫折した「コーカサスへの攻勢」
「ブラウ作戦」はなぜ失敗したか

【付録記事】
バクーからウラルへの石油輸送ルート
独ソ両軍の戦闘序列(編成表)