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ブダペスト包囲戦

価格: ¥0
カテゴリ: Kindle版
ブランド: 六角堂出版
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1944年6月に開始された、ソ連軍の白ロシア大攻勢「バグラチオン作戦」が成功に終わった後、独ソ戦における激闘の舞台は、いよいよソ連国内からポーランドおよびバルカン半島諸国へと転じることとなった。ソ連軍の先鋒部隊は、同年8月初めにポーランドの首都ワルシャワ付近にまで進出し、ルーマニア方面の国境では8月下旬にソ連軍が新たな大攻勢「ヤッシ=キシニョフ作戦」を開始、東部戦線の南翼を担うドイツ第6軍とその同盟軍であるルーマニア軍の戦線は、完全に崩壊させられてしまった。

ドイツの最高指導者アドルフ・ヒトラーにとって、この展開は悪夢以外の何物でもなかった。バルカン半島を構成する国々の中で、ハンガリーとルーマニアは、共にドイツの戦争経済を左右する重要な戦略物資・石油の産出国である上、両国の軍隊は数で劣るドイツ軍が巨大なソ連赤軍と対抗する上で、必要不可欠な「友軍」だったからである。

つまり、ハンガリーとルーマニアはこの時点でヒトラーの手許に残された、軍事的・経済的に有用な最後の2枚のカードだったが、8月23日にルーマニアがソ連を含む連合国と休戦し、2日後の8月25日には一転してドイツに宣戦布告を行うと、ヒトラーの手にはただ1枚のカードのみが残されることとなった。摂政ホルティ・ミクローシュ海軍中将が事実上の国家元首として君臨するハンガリーである。

独ソ戦で3年間「敵」として戦ってきたルーマニア軍を味方につけたソ連軍は、なおも勢いが衰えることなく、ハンガリー領内へと侵攻した。そして、同年12月末にはハンガリーの首都ブダペストを包囲し、「ドナウの真珠」「ドナウの薔薇」と詠われた古都ブダペストでは、それから2か月にわたって熾烈な市街戦が繰り広げられた。

それでは、ブダペスト包囲戦とはどのような戦いだったのか。最後まで残った「盟友」ドイツ軍とハンガリー軍は、いかにしてソ連・ルーマニア連合軍の猛攻に立ち向かったのか。そして、ブダペストをめぐる死闘は、最終的にどのような結末を迎えたのだろうか。

本書は、第二次世界大戦の末期に、東欧のハンガリーを舞台に繰り広げられたブダペスト包囲戦の顛末を、コンパクトにまとめた記事です。2012年9月、学研パブリッシングの雑誌『歴史群像』第115号(2012年10月号)の記事として、B5判16ページで発表されました。枢軸同盟国として共にソ連軍と戦った「仲間」であったはずのルーマニア軍とハンガリー軍が、ブダペスト包囲戦の傍らで繰り広げた、両国間の領土問題に起因する「全面衝突」についても解説しています。

《目次(見出しリスト)》

最後に残ったヒトラーの同盟国ハンガリー

《ブダペストに迫るソ連軍》
「枢軸同盟国」ルーマニアの寝返り
ドイツに仕組まれたハンガリーの政変
デブレツェンの大戦車戦

《包囲されたブダペスト》
ブダペストを目指すマリノフスキー
武装SS騎兵師団とハンガリー軍
退路を断たれたブダペスト守備隊

《市街戦とドイツ軍の第一次救援作戦》
熾烈なブダペスト市街戦の幕開け
ブダペストを兵糧攻めにしたソ連軍
ドイツ軍のブダペスト救援作戦

《地獄の坩堝と化したブダペスト》
ドイツ軍の新たな救援作戦
ペスト地区とブダ地区の陥落
ブダペスト包囲戦の戦略的意義