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幸福論 (第1部) (岩波文庫)

価格: ¥907
カテゴリ: 文庫
ブランド: 岩波書店
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ヒルティは、スイスの人で、1833年に生まれています。代表的な著作は『幸福論』と『眠られぬ夜のために』です。『幸福論』は3巻からなります。現在読むべきなのは、第1巻でしょう。1891年出版の第1巻が好評だったため、2・3巻があとに続きました。
人生で巡り合った中で、最も飽きのこない人生論。読み終えるのが、惜しくなってくる。 ★★★★★
 多読でもないために、今まで巡り合うこともなかったのであろうか。50歳台後半にして、初めて当該著書を読んだ。出だしの「仕事の上手な仕方」は納得もし、極めて興味深く読めた。更に読み進むと、崖を転げ落ちるような落胆が始まる。しかし、我慢して読み進むと、いつの間にかまた、生きる知恵や精神の持ち方の面白さに吾を忘れて読んでいた。読み進むうちに、読み終わるのが惜しく感じられるようにすらなった。

 テーマは多様であり、面白さは山の尾根歩きのように起伏する。しかし、学ぶこと、納得すること、何よりも「救われる」「勇気づけられる」「心が軽くなる」ことが、多々起るように思う。若い人にも、老いたる者にも、読むに値する著書の一つに違いない。
 キリスト教が著者の土台になるため、宗教色を払拭することはできない。ただ、宗教色が強すぎて、頑なさがどうにもならないという程ではない。不満なら、それなりに読み流すことで対応できる程度であると思う。
 
以下、いくつか、心に残る格言を引用してみよう。
・ひとを幸福にするのは仕事の種類ではなく、創造と成功とのよろこびである。
・よく働くには、元気と感興とがなくなったら、それ以上しいて働き続けないことが大切である。
・先に働いていない休息は、食欲のない食事と同じく楽しみのないものだ。最も愉快な、最も報いられることの多い、その上最も安価な、最もよい時間消費法は、常に仕事である。
・世にはわれわれの力の及ぶものと、及ばないものとがある。
・的はそれを射はずすために立てられれるのではないように、不幸もまた、人がこれを避けるためにこの世に存在するのではない。
・一度起った事はもはや絶対に変更されないということは、実に恐ろしいことであって、これがいつも人間生活の悲劇的背景となっているのである。
・なるほど彼等は、彼等のまさに欲するものを手に入れるであろうが、心の満足は得られない。これが実に、世界秩序の真に崇高なるゆえんであって、とらわれない目で見る人は必ず、これによって世界秩序の存在を覚るであろう。
・しかし普通に、どんな信仰の人にも、生涯彼を見捨てず、どんな不幸な時にもいつも彼を慰めてくれるただ二つのものがある。仕事と愛とである。
・喜びは、自分から追求してはならない。それは、生活さえ正しければ、まったく自然に生まれてくるものだ。
・不幸は、人間の生活につきものだということである。いくぶん逆説的にいえば、不幸は幸福のために必要だということである。
キリスト教を土台とした人生論の傑作 ★★★★☆
 ヒルティ(1833-1909)はスイスの弁護士、法律学教授、政治家、陸軍法務官、歴史家と多忙な人生を送りながら、晩年の1890年代に3巻に渡る本書「幸福」を出版した。日本では「幸福論」として有名である。世の幸福論として最も人口に膾炙しているのが本書ではなかろうか。キリスト教の教えをベースにしているが、宗教を越えて魂に響く言葉が随所に見られる。

 第1巻では、まず古代ストア派の哲学者テピクテトスを論じて心の内面の大切さをキリスト教との比較から抽出し、さらに良い習慣を養うことの大切さを述べ、幸福は誰もが手に入れることができる財宝であると主張している。最も単純な幸福への道として、週6日の仕事(女性の場合は子育て)を挙げている。
 真の幸福は、自分の力を出し実行することにより自然に発生する心の中の内的平和と述べる。

  ほとんど全ての論の根拠には旧約聖書や福音書が使用されている。また、神の存在は感じるものであるとし、存在証明及び非存在証明を一蹴する。また、国民皆兵のスイス人らしく、軍隊生活のような規律正しい共同生活を1つの理想とし、いつの時代でも最上のキリスト信者は軍人であった、との指摘もなされている。
 いずれにせよ何度も強調されるのは、苦難を受け止める心構えと信仰心である。狭き門より入れ。
名著中の名著!!!聖書にもまさる人生のバイブル。 ★★★★★
この本を読んで毎週日曜日に教会へ行くようになりました。

そして一言で言うと、人生が本当にその名の通り「幸福」になったのです。
それまでも、私は私の人生に関して幸福でいたつもりでした。

しかしどこか厭世主義的というか、心の底から毎日幸せとは良いがたく、外的要因(不況やリストラ、あらゆる試験の合否など)によって常に心が左右されていたのです。

そこにヒルティの「幸福論」はまさに神の光のごとく私に降り注ぎました。

内容については他の方もレビューされているので割愛しますが
現代世に出回っているいわゆる自己啓発本
(茂木健一郎さんや勝間和代さん、マイケル・ボルダックなどなど・・・)
などよりこの本を一冊読めば十分です。

いま、不景気で、さらに世界の幸福度ランキングで90位まで落ち込んだ日本人にこそ是非読んでもらいたい一冊です!!!

私もこの本に出会うまではこのような自己啓発本を買いあさり
読んで読んで読みまくりました。

しかし根本的な解決にはなりませんでした。
以前にアランの「幸福論」も読みましたが、どうもしっくりきませんでした。

アランの方は非常に比喩的で、分かりにくかったのです。



この本を読んでください。
絶対に難しいということはありません。

難しいと感じるところがあれば、飛ばして読んでも大丈夫です。

☆5以上の評価が、この本においてなされるのは当然であり
その価値が十分にある本です。
幸せとはどんなものを言うのか、どんな考え方をすれば幸せになれるのかを考えさせられる本 ★★★★★
どの本か忘れましたが、この本に影響を受けたと
書かれていた本があり、この本を手にとりました。

すでに3部購入しており、順次読んでいきたいと
ワクワクしています。

その1部を読みました。

※幸福論という言葉に引かれ、他の著者が書かれた
幸福論というタイトル本も数冊購入してしまいました。
あとで読んでみます。

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■幸せ
幸せ=創造+成功
自分が作り上げ、それを認められ、成果を上げ、
成功することが幸せだと、この本を読んで私は
感じました。
生理的欲求を満たされたあとは、
自分が他人から承認される欲求を満たされる事が
うれしい事となります。
自分も自尊心を認められる事(褒められる、認められる)と
うれしいものです。

■行動
思い切って自分から行動することが、幸せへの
一歩である事を学びました。
あきらめず、目の前にあることから、
繰り返し挑戦し、一生懸命頑張る事で
一つずつ壁を乗り越え、目標に近づくことができます。
私にとってはこのブログ(ビジネス書、自己啓発書の書評)を
続けていく事も一つの行動です。

■自分の力の及ばないものを変えることはできない
他人、未来、死など・・・。
自分の力で変えることができません。
これを無理やり変えてやろう、
他人の意見を変えてやろうなどなど・・・
を行うと、さらに上を目指そうなどと思い、いつまでたっても
自分の欲求は満たされませんし、不満ばかりたまります。
自分の自由を削ってまで、変えられない事に時間を費やすのは
ばかげています。
力の及ばないものを無視、軽視することで
自由を得る事ができます。
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これを読んですぐ幸せになる本ではありませんが、
幸せとはどんなものを言うのか、
どんな考え方をすれば幸せになれるのか
を考えさせられる本でした。
引きこもりスレスレだった私の中学時代の人生を支えた本 ★★★★★
 学校には通っていたものの、宿題もやらず、テストは受けるだけ、午前様まで人生について考えて授業中寝てばかりだった中学時代後半の私の人生を支えた本である。
 私も、自分で製本して擦り切れるまで読んだ一人である。
 第1巻は、第2巻以降ほどには宗教色が強くないので、多くの人になじみやすいだろう。冒頭の「仕事の上手な仕方」は、昔はドイツ語の教科書にも使われた名エッセイである。

 「仕事の対象を分散させ、一度にでなく、少しずつ、代わる代わるにやるのがいい」
 「働きの喜びは、自分でよく考え、実際に経験することからしか生まれない」
 「わがスイスの美しい谷々は病院ばかりになったが、この病院もやがては、この安らぎを知らぬ多数の人々のために一年中開業することになるであろう。彼らはここかしこに休息を求めて動き回るが、どこにもそれを見出さない……なぜなら、仕事の中に休息を求めないからだ」
 「よく働くには、元気と感興がなくなったら、それ以上強いて働き続けないことが大切である」
 「あすはひとりでにやってくる。そして、それと共に明日の力もまた来るのである」
 「本当の勤勉は、ただ休む暇もなく働き続けることではなくて、頭の中の原型を目に見える形に完全に表現しようという熱望をもって仕事に没頭することである」

 私は、この本から、およそ19世紀までのヨーロッパの文学や哲学、政治や社会や歴史についての道案内をしてもらったという思いが強い。
 ヒルティは、基本的にはカルヴァン派的なプロテスタントの信仰の正統派の枠を守ってはいるが、ヒルティ個人にとっての神は、教会の儀礼的な祈りの世界にはなく、あくまでも自分の内なる声としての神との親しい交わりの世界にあった。そのことに気がつく時、同じスイスの生んだ後続世代、ユングのいう「たましい(Seele)」との真摯な関わりを思い起こさせるところがある。「超越機能」とユングが呼んだものと実は驚くほど接近した世界を内包しているように思えてならない。