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中越戦争 1979

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カテゴリ: Kindle版
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2014年5月、南シナ海の西沙諸島(パラセル諸島)近くの海域で、中国とベトナムの艦船群が複数回にわたって衝突し、双方に多数の負傷者が出る事件が発生した。

衝突の発端は、中国側の大手石油企業「中国海洋石油」が5月2日から7日にかけて、同諸島の海域で大規模な石油掘削の準備作業を行ったことだった。これに対し、同諸島周辺を自国の「排他的経済水域」と見なすベトナム側は「主権の侵害だ」として反発、海上保安船など約30隻の船舶を派遣して作業を実力で阻止しようと試みたが、中国側も各種船舶80隻で「応戦」し、あちこちで船舶同士がぶつかり合う異様な事態となった。

この事件を機に、中国とベトナムの関係は一触即発の緊張状態となり、展開次第では「第二次中越戦争」の勃発もありうるとの観測が、世界中のメディアで報じられた。この言葉は、衝突から35年前の1979年に発生した「第一次」の中越戦争を踏まえた表現だったが、しかし1979年の中越戦争は、領有権や資源の支配権を巡って生じた2014年の「中越緊張」とは全く異なる、きわめて特殊な事情で発生した軍事衝突だった。

中越戦争が発生した当時、世界は東西冷戦の真っ只中にあり、中国は「東側」の一員として、アメリカや日本をはじめとする「西側」諸国と対立関係にあった。しかし、中国と国境を接する南の隣国ベトナムも、中国と同じ「社会主義陣営」つまり「東側」に属しており、ベトナムの背後には「東側」の総本山とも言える超大国・ソ連が存在していた。そして、中国人民解放軍のベトナム侵攻と共に始まった中越戦争は、開始からわずか17日間で終了し、中国軍がベトナムからの撤退を完了した後、中国とベトナム双方の政府が「戦争での勝利」を宣言したという面でも、他に類を見ない異質な戦いだった。

それでは、中国側が「対越自衛反撃戦」と呼ぶ1979年の中越戦争とは、どんな出来事だったのか。中国政府はいかなる理由でベトナム北部への軍事侵攻を決定し、ベトナムの戦場ではどのような戦いが繰り広げられたのか。そして、中国とベトナムは、この短期間ながら多数の人的損害を生んだ紛争から、それぞれ何を得たのだろうか。

本書は、同じ共産主義国である中国とベトナムの間で発生した軍事衝突の背景と経過を、わかりやすく解説した記事です。2014年11月、学研パブリッシングの雑誌『歴史群像』第128号(2014年12月号)の巻頭記事として、B5判15ページで発表されました。

中国の最高指導者・鄧小平が、紛争に先立って下した諸々の決定が示す通り、中国側はベトナムとの長期戦やベトナム北部の自国への併合などは一切望んでおらず、あくまで「政治的・軍事的な懲罰と報復」が、対越侵攻の目的でした。中国とベトナムは、現在もなお、本稿で触れた西沙諸島と南沙諸島の帰属を巡って対立する関係にありますが、中国共産党政府がどのようにして軍事紛争への道を踏み出すのかを物語る、数少ない史実のケーススタディとして、参考にしていただければ幸いです。

また、中国と台湾の間で発生した紛争(1949年の金門島上陸、1954〜55年の第一次台湾海峡危機、1958年の大砲撃戦)については、戦史ノート第13巻『中国・台湾紛争史』で、中国とインド・ソ連の国境紛争(1962・1969年)とチベット・新疆ウイグル問題については、戦史ノート第10巻『現代中国の国境紛争史』で、それぞれ詳しく解説していますので、併せてお読みいただければ、より理解が深まるかと思います。


《目次(見出しリスト)》

◆南シナ海で再燃した「第二次中越紛争」の危機

《紛争の火種:ベトナム在住華僑の帰国問題》
◆古来より結びつきの強かった中国とベトナム
◆親中国から親ソ連に鞍替えしたベトナム
◆ベトナム国内の経済改革と華僑排除政策
◆中国国内で湧き起こった反ベトナム感情

《ベトナム軍のカンボジア侵攻と中国の反応》
◆ポル・ポトとクメール・ルージュの登場
◆カンボジアに侵攻したベトナム軍
◆ポル・ポト政権の崩壊に激怒した中国

《中国軍のベトナム北部侵攻とソ連の反応》
◆中国・ベトナム両軍の兵力と装備兵器
◆中越戦争の開始と作戦初日の戦闘
◆ベトナムへの支援を開始したソ連

《双方が「勝利」を宣言した中越戦争》
◆中国側の一方的な「目的達成と撤退」宣言
◆中越両軍の損害と中国軍苦戦の背景
◆いまだ終わらない中越両国の摩擦