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樺太の戦い 1945

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カテゴリ: Kindle版
ブランド: 六角堂出版
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太平洋戦争末期の1945年8月、対ドイツ戦の勝利で勢いに乗るソ連邦は、日ソ中立条約を破棄して対日宣戦布告を行い、極東のソ連軍は日本軍への総攻撃を開始した。

このソ連軍による対日攻撃の主舞台となったのは、当時関東軍が展開していた広大な満洲国だったが、副次的な戦域として千島列島と南樺太、そして朝鮮北東部でも、日ソ両軍部隊の戦闘が繰り広げられていた。

北海道の真北に位置する、南北950キロ、東西160キロの細長い樺太(ソ連側呼称はサハリン)は、日露戦争のポーツマス講和条約(1905年)以降、島のほぼ中間に位置する北緯50度線で二つに区切られ、南側が日本の領土に組み込まれていた。言い換えれば、樺太は第二次大戦当時、日本軍とソ連軍が陸上で国境線を挟んで対峙していた唯一の場所であり、日ソ開戦と同時にここが戦場となったのは当然の成り行きと言えた。

樺太では、満洲各地の戦域ほど兵力的に劣勢ではなかったとはいえ、既に敗色濃厚となっていた日本軍には、ソ連軍の本格的な攻勢を長期にわたって食い止める戦力は残されていなかった。しかし、国境付近に築かれた陣地帯や、島の西部に位置する港町では、戦車も航空支援も高射砲も持たない小規模な日本軍部隊が奮闘して、ソ連軍の進撃を幾度にもわたって食い止め、結果的に極東方面におけるソ連軍の戦争計画に重要な修整を強いる役割を果たした。

それでは、1945年8月の樺太では、いかなる戦いが繰り広げられたのか。日本軍の樺太配備部隊は、どのような防衛計画をもってソ連軍の侵攻を迎え撃ち、樺太の戦いは最終的にどう決着したのか。そして、樺太における日本軍部隊の奮戦は、太平洋戦争の終結状況にどんな影響を及ぼしたのだろうか。

本書は、第二次世界大戦の最終段階で樺太(サハリン)南部において繰り広げられた日ソ両軍の激闘の背景と経過を、わかりやすく解説した記事です。2013年7月、学研パブリッシングの雑誌『歴史群像』第120号(2013年8月号)の記事として、B5判11ページで発表されました。

この戦いが行われていた当時、ソ連の最高指導者スターリンは、樺太南部と千島列島に加えて、北海道の北東半分も自国領に編入することを目論んでいました。しかし、南樺太を守る第88「要」師団の奮戦により、ソ連軍の進撃が遅らされた結果、北海道侵攻は阻止される結果となりました。本書と同時に刊行される、第44巻『ベルリン陥落 1945』および第45巻『満洲の戦い 1945』と併せ、軍隊と国家、軍隊と国民のあるべき姿を考える事例研究(ケーススタディ)の材料として活用していただければ幸いです。

《目次(見出しリスト)》

一九四五年の日ソ戦で唯一の「国境越えの戦い」

《日ソ開戦までの樺太》
日露両国の狭間で揺れた樺太
日本軍の樺太守備部隊の変遷
スターリンの南サハリン奪回構想

《南樺太における日ソの激突》
ソ連の対日参戦と樺太
八月八日の砲声
小林連隊長の基本方針
ソ連軍の南サハリン作戦参加兵力
国道沿いの激戦

《樺太戦の終結とソ連軍の攻勢拡大》
要衝・古屯の攻防戦
八方山陣地の停戦
北海道侵攻計画と「北方領土」の占領