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デミヤンスク包囲戦

価格: ¥0
カテゴリ: Kindle版
ブランド: 六角堂出版
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1941年6月に開始されたドイツ軍のソ連侵攻作戦「バルバロッサの場合」は、三か月程度の短期決戦で東の大国・ソ連を打倒するという当初の目的を達成できないまま、苛酷な「冬将軍」の到来により頓挫させられていた。そして同年12月上旬に、ソ連軍の冬季反攻作戦がモスクワ周辺で始まると、防寒衣類や凍結防止剤などの冬季戦への備えを欠いたドイツ中央軍集団の前線部隊は、敵国の首都まであと一歩というところまで迫った前線を維持できず、あたかも潮が退くように西への退却を余儀なくされた。

この展開を見たソ連の独裁者スターリンは、モスクワ防衛戦の立役者であるゲオルギー・ジューコフ上級大将ら赤軍上層部の反対を押し切り、酷寒の中でよろめく敵軍の混乱と自信喪失につけ込む形で、全戦線において反攻に転じるよう命令を下した。

それから一か月が経過した1942年1月初め、モスクワとレニングラードの中間に位置する小さな町・デミヤンスク(デミャンスク)周辺でも、ソ連軍の冬季反攻作戦が開始され、この戦域に展開していた独第2軍団と第10軍団の計6個師団、約10万人の兵力が、ソ連軍の包囲環へと閉じ込められてしまった。だが、ドイツ側は輸送機による補給物資の空輸で孤立した部隊を支えつつ、外部からの救援部隊を急遽編成し、包囲環の外と内からの突破作戦により、陸路での補給路を回復することに成功する。これに対し、ソ連側は細くて脆弱な敵の補給路を断ち切るための挟撃作戦を繰り返し行う一方、空挺部隊を包囲環の内部へと浸透させ、ドイツ軍の防備を内側から突き崩そうと試みた。

こうして、デミヤンスク周辺では約一年間にわたり、地上での包囲戦に空輸およびパラシュート降下という立体的な要素も加わった、第二次世界大戦の中でも特異な性格を持つ攻防戦が繰り広げられた。そして、この戦いの経過と結末は、ドイツの独裁者ヒトラーと空軍最高司令官ゲーリングの心に、補給物資の空輸という問題解決法への強い印象を植え付け、数か月後に南方で発生する新たな包囲戦──第二次世界大戦の転回点とも言われるスターリングラード包囲戦──の行方にも大きな影を落とすことになる。

では、独ソ両軍はいかなる思惑を抱いて、デミヤンスク包囲戦を戦ったのか。ソ連軍はなぜ、デミヤンスクで包囲した敵軍の殲滅に失敗したのか。包囲環に閉じ込められた友軍を救ったドイツ空軍による補給物資の空輸作戦は、どのようにして行われたのか。そして、デミヤンスクという一見重要度の低い場所で行われた攻防戦は、独ソ戦ひいては第二次世界大戦の行方に、どんな影響を及ぼしたのだろうか。

本書は、後にスターリングラードの大敗へとドイツ軍を導く遠因となった、デミヤンスク包囲戦の顛末を、わかりやすく解説した記事です。2013年9月、学研パブリッシングの雑誌『歴史群像』第121号(2013年10月号)の記事として、B5判13ページで発表されました。多くの社会的事業と同様、戦争においても「成功経験」は必ずしも組織の強化や判断力の向上に繋がるとは限らず、逆に特定の条件下における「成功経験」に惑わされてそれを一般化することで、後により大きな「破滅」を生む温床となることもあったのです。


《目次(見出しリスト)》

戦争の行方に大きな影響を及ぼした北方の包囲戦

《難題を課せられたソ連北西方面軍》
デミヤンスク周辺の地理的条件
ソ連北西方面軍の作戦計画
第一目標:敵の補給物資集積所

《デミヤンスク包囲戦の始まり》
スタラヤ・ルッサへの攻撃開始
第3打撃軍と第4打撃軍の突進
デミヤンスク包囲環の完成

《デミヤンスク包囲環と外部の連絡回復》
航空補給で戦力を維持したドイツ軍部隊
ドイツ空軍輸送部隊vs.ソ連軍空挺部隊
救援作戦を命じたヒトラー

《デミヤンスク攻防戦の終局》
デミヤンスク突出部の放棄
デミヤンスクからスターリングラードへ

【付録記事】
独ソ両軍の戦闘序列(編成表)
デミヤンスク・ホルム補給空輸作戦の内容