光州事件 1980
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今から34年前の1980年5月、大韓民国(以下韓国と略)南西部に位置する光州(クワンジュ、こうしゅう)という都市で、ある悲劇的な事件が発生した。
日本では、芸能界とスポーツ界の二大スターである山口百恵と王貞治の引退が連日テレビで報道されて高視聴率を取り、松田聖子とたのきんトリオが鮮烈なデビューを飾って週刊誌の話題を独占し、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)が若い世代にテクノポップの大ブームを巻き起こし、ルービック・キューブと携帯用カセットプレーヤー「ウォークマン」が大流行したこの年、対馬海峡を隔てた朝鮮半島に住む韓国の国民は、そうした呑気とも言える日本の世相からは大きくかけ離れた生活を送っていた。
1980年当時の韓国は、国政を実質的に軍の首脳部が司る、事実上の「軍事独裁」体制下に置かれており、同国の国民は言論の自由が厳しく制限される窮屈な暮らしを強いられていた。軍政の停止と民主政治の実現を求める市民の声は、軍の実力行使によって情け容赦なく弾圧され、民主化運動の指導者は政治囚として刑務所に収監された。だが、それでも自由を求める人々の欲求は絶えることなく沸き起こり、各地の大学では政治意識の高い学生たちが、軍人から向けられる銃口にも怯むことなく、理想の社会を実現するために我が身を「捨て石」として敢えて危険に晒す行動をとり続けていた。
ハングルでは事件発生の日付にちなんで「五・一八(オー・イルパル)」とも呼び表される光州事件は、このような状況の中で発生した、学生を中心とする市民の「民主化要求デモ」が発端だった。しかし、その背景には、当時の韓国が抱えていたいくつかの政治的問題が大きく影を落としており、韓国現代史の大きな流れを意識するなら、光州事件は「起こるべくして起きた出来事」とも見なすことができる。そして、市民と軍の双方に大勢の犠牲者をもたらした光州事件は、後世の視点から見れば、韓国が事実上の軍政を放棄して真の民主化へと向かう上での、重大な転換点に他ならなかった。
本書は、1980年5月に韓国の光州で発生した悲劇的事件の顛末を、コンパクトにまとめた記事です。2008年9月、学研パブリッシングの雑誌『歴史群像』第91号(2008年10月号)の記事として、B5判15ページで発表されました。政治的・軍事的影響の大きさから、今なお解明されていない部分も多い主題ですが、本稿では現在入手可能な情報を整理して、この出来事の構造と背景を読み解いています。
また、原稿掲載時に付随したコラム記事4本(全斗煥、盧泰愚、金大中、ソウルオリンピック)も、巻末付録として収録しています。同時期の日本とは全く異なった道を歩んできた韓国の現代史について、その概要を知る一助となれば幸いです。
《目次(見出しリスト)》
三四年前の韓国で起きた悲劇
《韓国軍上層部の「反共」思想》
朝鮮戦争後の韓国の政情
朴正煕大統領の独裁体制
朴大統領暗殺後の政争
《全羅道で燃え上がった民主化闘争》
韓国軍空輸旅団の主要大学への展開命令
光州で発生した市民と軍の衝突
空輸部隊の退却と反撃
《軍政の崩壊と民主化の実現》
光州の悲劇はなぜ起きたか
光州事件以後の韓国の政情
【付録コラム】
全斗煥(チョン・ドゥファン)
盧泰愚(ノ・テウ)
金大中(キム・デジュン)
ソウルオリンピックへの道